勉強と科学技術

 職業柄、生徒や保護者の方々から「参考書はどんなものがいいのか」「○○という教材はいい教材なのかどうか」という質問をよく受けます。特にやはり受験生からはこれらの質問をよく受けますが、今回は教材について思うところを書いてみようと思います。

 現在、10年前には考えられなかったような便利な教材がたくさん出回っています。私が大学受験をしたのは今から13年前ですが、本屋さんに並んでいる教材と言えば、いわゆる「参考書」と呼ばれる書物ばかりでした。最近主流となっている「衛星ナントカ」「コンピュータの学習用CD」なんてたぶん無かったと思います。CMを見ているとN天堂のDSでも効率のいい学習ソフトができているようで、今の受験生は恵まれているなぁと思います。

 ではそれらがほとんど無かった10年前と比べて、現在の中学生や高校生の学力は非常に高いものになっているかと言えば、恐らくそんなことはないでしょう。学習指導要領の削減やゆとり教育の影響による学力の低下を差し引いたとしても、様々な効率的な教材・システムの割には、全体の成績が上がっていないように思われます。現に大学入試センター試験の平均点や、各大学・高校の入試合格最低点を見ても、この10年、いやもっと前からあまり変化はありません。つまり…

 どんなに素晴らしい教材があっても、やらない人はやらないのです。DSで根気よく勉強することができる人のほとんどは(全員とは言いませんよ)、きっと普通の単語帳でもちゃんと根気よく覚えられる人です。机に向かって参考書で学べない人は、きっと衛星通信を使っても大して得るものはないでしょう。私は実際に教師になってから某予備校のサテライト(通信衛星)講座のビデオを見ましたが、あれは考えようによっては机に向かって勉強するよりも強い信念が求められます(もちろん授業の内容は素晴らしいものが多かったですが)。

 もし素敵な教材を使えば、即、誰でも成績が伸びるなら、書店に行って「絶対9割取れる○○講座」なんて本を買ってきてみんなでやれば、その年の受験はきっと大激戦になると思います。でもどんなに素晴らしい参考書が発刊されたとしても、そんな風には絶対にならない。なぜなら、何を買ったってやらない人はやらないのだから。つまり勉強は「教材」で決まるわけではないのです。

 何かを成し遂げるために1つの事を継続するのは、とても難しいことです。NHKラジオの英会話番組のテキストは、4月号はどんなに大増刷してもすぐに売り切れますが、6月号くらいからはどこの本屋さんでも売れ残りの山。そう、要は「やる」か「やらない」かの違いだけ。

 ちなみにこのエッセイでは「教材」と書いてきましたが、教育界での正式用語は「学習材」と言います。教師が「教える」ための材料ではなくて、生徒が「学習する」ための素材であるからです。正にその通り。「学習材」がいいものになるかどうかは「学習者」によって決まるのです。

                                        はなぶさ通信 第45号(平成19年12月11日発行)より

                    

 塾長のエッセイ集トップへ戻る
 塾長のページトップへ戻る