続「私の人物判定法」
突然ですが、皆さんは結婚式の披露宴や、知人の葬儀に出席(列席)したことがありますか? 私も年をとるにつれてそういった場へ出ることが少しずつ増えてきました。
ところで、披露宴や葬儀でよく目にするものに祝電披露(弔電紹介)があります。これは式に参加できなかった人が電報にてメッセージを送り、それを出席者代表のスピーチの後で司会者が読み上げるものですが、時間の関係で出席者ですら全員がスピーチする(メッセージを送る)ことが許されているわけではないのに、なぜ出席すらしていない人のメッセージが読み上げられるのでしょう? 何だかずっと不思議な気がしていました。電報が読まれている間、出席者はただただじっと座って待っているだけです。これは目の前にいる人(出席者)よりもこの場にいない人の方を優先しているようで、私からすると無礼なような気がするのですが…。
例が少し突飛すぎたかも知れませんが、私の「人物判定法」の2つ目は「目の前にいる人に配慮した行動をとることができるか」ということです。例えば人前で携帯電話がかかってくる。当然席を外して電話に出るのが当たり前です(さらには終わった後で相手に一言謝罪しますね)。「目に前にいる人」よりも「この場にいない人」を優先させて対応するということはそのくらい失礼なことなのです。ましてや知人を目の前にしてメールを打っているなんて私には考えられない(別に自分にメールが来ないからひがんでいるわけではありませんよ)。私は今までの採用面接試験において待合室で携帯電話をいじって(操作して)いた人は誰一人として採用していません。公の場で(しかも受付の人たちが見ているのに)そういう事のできる人は信用しないのです(しかも採用面接ですよ。例え待ち時間だとしてもメールを打っているという感覚が私には分からない)。
私は人と会う場所には携帯電話は持って行かない。どうしても身に付けていなければならない(出張先など)場面では、電源を切って相手の見えない所にしまう(マナーモードにしていても音は出ます。あれだけでも相手はいい気はしないものです)。そしてどうしても緊急な連絡を待っていて電源をOFFにできない時(家族が危篤である、など)だけはマナーモードにしておいてあらかじめ相手に事情を話して非礼を詫びる。これが礼儀というもの。要は「相手を嫌な気分にさせない」ということです。私が携帯電話を手にしながら受付や廊下、教室をウロウロしているのは絶対に見たことがないはずです。
よく塾に教材販売に来る業者の営業マンでも話の途中で携帯電話(もちろんマナーモードですが)を鳴らす人がいますが、そのような出版社は社員教育ができていないのだなぁと思います。しっかりしている会社(人物)はそういうところまでしっかりしているものです。「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」という言葉は礼儀をわきまえない態度を表す言葉ですが、漢文で「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」と書き下し、「まるで隣に他人がいないかのようだ」という意味です。まさにその通り。目の前に他人がいるのに、その人が目に入っていないかのように振る舞う。この四字熟語はまるで現代の携帯電話の普及を暗示していたかのように思えてなりません。
はなぶさ通信 第68号(平成20年10月27日発行)より