受験生たちへ〜確信犯でもいい
受験勉強をしていると、時折フッと「こんな勉強何かの役に立つのかな?」と思ってしまうことがあります(もちろん言う間でもなく入試の役には立つのですが。社会に出てから…という意味でです)。そんな疑念に追い打ちをかけるように世間からは「詰め込み教育は良くない」とか「入試制度に問題あり」とか、もっともらしい意見が聞こえてきます。これに耳を傾けていると、自分のやっている勉強が突然意味のないものに思えてきてしまうかも知れません。
私は中学3年生、高校3年生にこう言いたい。「世間は勝手なものである。大人が受験というものを作り出しておきながら、同じ大人がその受験に対して疑念を抱かせる。君たちはそんな身勝手な大人に振り回されてはいけない!」と。この時期(このエッセイは11月末です)にきて詰め込み勉強しなくてどうするんだ!? もちろん「詰め込み」に対して疑念を抱いている子も、実際には詰め込みをしているとは思うけれども、「詰め込みでいいんだ」という確信を持って残りの何ヶ月か勉強してほしい。「勉強だけが人生じゃない」というのは確かに間違ってはいないけれども、でもこの何ヶ月かは「勉強=人生」でもいいんじゃないか。
私は31歳になり、いろんな職場を経験し、今だっていろんな体験を日々しているけれども、世間を騒がせたりしているニュースに耳を傾けたりしていると、世の中には「うわべ」だけの思想・人間・生活が本当に多いなぁと思う。汚職・談合・偽装、なんだかなぁ…と。そんな時フッと、自分の中3、高3の受験期を思い浮かべることがある。あの勉強に明け暮れていた何年かが、実は一番「現実的」だったんじゃないか、って思うことすらある。当時は何とも思わずにただ入試に向けて勉強していたけれど、あの経験・思い出が自分の人生の中で一番の「支え」であり、嘘偽りのない「現実」だったんじゃないか、と。
今、私ははっきりと言えます。「受験を経験しなかった人は、非常に大事な経験を1つ逃してしまっているのだから、とてもかわいそうだ」と。もちろんこれは私の意見だから、認めてくれない人がいてもそれはそれでいい。でも現在受験勉強の真っ最中にいる君たちには「いつかそう思える日がきっと来るよ」と、すべて思いは伝わらないとしても、伝えられるだけでも伝えてあげたい。
とにかく受験生たち、悔いは残らないように頑張って下さい。
はなぶさ通信 第44号(平成19年11月27日発行)より