問題25:まぎらわしい宿場?(21年10月出題)
先日信州に旅行に行ったということを日記に書きました。またそこで中山道六十九次資料館に立ち寄り、岸本館長からいろいろな興味深いお話を聞いたということも書きました。そのせいか、ここのところ東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道という江戸時代の五街道に興味をもち、いろいろなサイトで調べています。今回はこれに関する問題です。
初め、「中山道と東海道に挟まれてどちらもまったく通っていない都道府県は?」という問題を出題するつもりでした。ちなみにこの問題の答えは山梨県になります。東海道は東京都から順に神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・滋賀県と通り、滋賀県で中山道と合流して京都府へ達します。また中山道は東京都から埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県と続き、同じく滋賀県で東海道と合流して京都府へ入ります。この二本の街道に挟まれて山梨県はどちらの街道もまったく通っていないのです。
しかしその代わり、山梨県には甲州街道が通っています。甲州街道は江戸から中山道の下諏訪宿に至るルートで、中山道よりも距離も短く平坦なルートです。ではなぜ甲州街道が中山道に比べて発達しなかったのかというと、それは江戸幕府が諸大名に甲州街道をなるべく通らせなかったからに他なりません。江戸幕府は甲州街道をもし江戸城が陥落した際の将軍の逃げ道として確保しておきたっかたらしく、大名に甲州街道沿いの情報を握られたくなかったようです(この話もちなみに先述した資料館の岸本館長からお聞きしました)。大名が通らなければ大きな宿場は発達せず、よって民衆も通らなくなりますね。
ところで東海道には全部で53の宿場が設けられていました(だから五十三次なんですね)。片や中山道には69の宿場がありました。ここにはスタート(起点)となる江戸の日本橋とゴール(終点)となる京の三条大橋は含まれていません。また両街道が合流する草津宿とその先の大津宿は共通の宿場になります。よって東海道独自の宿場は51宿、中山道独自の宿場は67宿あることになります。
では問題です。この東海道・中山道お互いの独自の宿場の中で、まったく同じ名前のついている宿場が1組あります。つまりどちらの街道にも存在する宿場名を探して下さいということなのです。もちろんまったく違う場所にある宿場です。ではその宿場は何という宿場でしょう? 歴史地図とにらめっこしてみて下さい!