第49回 御油(愛知県豊川市)→東幡豆(愛知県幡豆郡幡豆町)
平成13年5月13日 晴れ 23.4q 5時間30分
子供の頃、よく連れてきてもらっていたハズ!?
前回で「奥三河・甲斐・木曽路」の旅が完結しました。思えば奥三河も甲斐も木曽路も共通項はすべて「山の中」ということ。そこで新たに始まる次の旅は、どうしても海沿いを進みたくて計画を練りました。ちょうどこの頃、初めて担任したクラスを2年生に持ち上がりそろそろ大学受験のことが気になり始めていたので、それまでに自分の足で伊勢神宮と京都本願寺に合格願掛けに行くことをメインテーマに設置し、南西に向けてスタートすることになりました。
まずは音羽側沿いに御津町へ向かいます。ここは僕が豊川西部中学校に通学していた3年間、ずっと歩き続けた道です。「歩き続けた」と書きましたが、実は僕の家は学校から2q以上離れているので、規定により自転車通学が認められていました。入学直後は実際に自転車で通学していたのです。しかし…
入学から1週間後、通学路での一時停止違反を学校の先生に見つかり(はっきり言って警察並に汚い張り込みをしていて、捕まったのです)、1週間の自転車通学禁止を言い渡されました。その禁止期間も解け、再び自転車通学を再開して3日後、今度はまた別の場所で一時停止違反により逮捕(本当に学校の先生は汚かった!)。そして自転車通学1週間禁止! もうそれ以降、自転車で通学する気は起こりませんでした。
塾生は分かると思いますが僕はもともと規則破りが嫌いな人間なので、この2回の逮捕は非常にショックで、大人の世界が信じられなくなる第一歩でした。通学路の説明も無しにいきなりの逮捕。しかも木の陰に隠れていて見張るという警察顔負けの汚さ。僕は学校の「先生」は嫌いではありませんが、この出来事だけはいまだに許せていません(先生の名前も覚えています。書きませんが…)。生徒の安全が目的ではもはやなく、逮捕して生徒手帳を取り上げて束にして満足しているこの時の教師の姿を思い出すと、同じ教育者として今でも虫酸が走ります。
そんな10年以上前の話を思い出しながら、中学校を右手に眺めて、御津町へ。すぐに蒲郡の海が見えてきます。第29回の旅で静岡県の興津の海と別れて山梨県に向かって以来、本当に久しぶりの海景色になります。当時はまだラグーナ蒲郡ができたばかりで、海風を浴びながらヨットを眺めつつふらふらと散歩しました。家からラグーナまではまでは意外にも近く、距離にして約8q。この頃から「いつかボート免許をとりたいなぁ」と思うようになりました。この思いは後年、1年間だけ三谷水産高校に勤務することになってからさらに強くなります(今はもうボート免許取得していますが)。
三谷町の商店街、水神交差点の辺りがスタートからの950qポストになりました。いよいよ1000qに王手がかかりました。愛知県内で1000qポストを建てられるでしょうか?(実際には何も建てていませんよ、念のため…)
蒲郡は本当に海の街、そして温泉の街です。前述のラグーナはもちろんのこと、蒲郡港、蒲郡競艇場と海の施設が続きます。そして三谷、西浦、形原と温泉街も豊富です。しかし蒲郡以遠はあまり道に詳しくなく(西浦、形原方面に名鉄が走っていることだけは知っていました)、形原の辺りに差し掛かると急激に山も迫ってきて海が見えなくなり、僕にしては珍しく地理感を失ってしまいました。
この近くには「愛知幡豆こどもの国」があり(名鉄にこどもの国駅もあります)、まだ本当に小さかった頃よく親に連れてきてもらった記憶があります。「夕日が丘」とか「がんばり坂」とか聞くと今でも当時のことを思い出します。最後に行ったのはいつだったろう?
まぁその頃の記憶が地理感としてよみがえることはもちろん無く、道端で農作業をしていた住民の方々に道を尋ねながら、何とか名鉄蒲郡線の東幡豆駅を探し出すことができました。
名鉄蒲郡線は安城から西尾、吉良を通って蒲郡へ向かいます(正式には吉良吉田駅までは西尾線で、かつてはここで碧南からやって来る三河線と合流していました)。豊川市民・豊橋市民にとって、蒲郡に行くと言えばJR東海道本線を利用することですから、この名鉄蒲郡線はあまりなじみがないと思います。もしかすると、蒲郡駅に名鉄の赤い電車がやって来ているということ自体、知らない人もいるかも知れません。この日も東幡豆駅から名鉄線で御油駅まで戻ったわけではなく、いったん蒲郡・豊橋へ出て、名鉄→JR→名鉄、と乗り継いで帰宅しました。初乗り運賃が3回もかかってしまいますが、それでも名鉄で安城を経由して帰るよりよほど安くなります。
次回はさらに愛知県を西進し、知多半島に入る直前の碧南に到着します。