第109回 泊(富山県下新川郡朝日町)→糸魚川(新潟県糸魚川市)

平成19年11月4日 晴れのち曇り 32.1㎞ 7時間10分

ドンキーコングの世界

 太平洋側の静岡県由比に「親不知」と呼ばれる海岸があることは、第29回の旅日記で紹介しました。南アルプスの山がそのまま太平洋になだれ落ちている箇所で、海岸沿いにほとんど平野がなく、その昔は通行人にとってとてつもない難所でした(実際は海岸沿いではなく、小高い山を登って薩埵峠(さったとうげ)を越えることになるということも紹介しました)。

 そして今回は北陸、日本海側。実はこちらにも同名の「親不知」という難所があるのです。静岡県の方と同じように、こちらは北アルプスの山がそのまま日本海になだれ込んでいる感じで、難所という意味では太平洋側の「親不知」など比ではないです。距離も相当長く、「親不知」を無事に抜けても、その向こうに今度は「子不知」という同じような難所が再び待ち構えています。

 今回のウォーキングは、このような凄まじいコースを歩くことになります。実はこちらの親不知・子不知にも山を登っていく迂回路は存在します。上路(あげろ)と言うコースで、途中の(と言ってもふもとの方ですが)集落には山姥伝説が残っているような寂しい、そして秘境とも言うべきコースです。当初はこちらの迂回路を歩くことも本気で考え、車で下見もした(というより「しかけた」という方が正しいかな)のですが、災害による通行止めが続いていることと、標高があまりにも高い尻高山付近を通過するので夏の一時期を除いて雪が残っていること、そしてコースの距離も40㎞弱にまで伸びてしまう上に歩けなくなってもタクシーすら呼べないような秘境であるということなどを考えて、結局、親不知・子不知の海岸沿いを歩くことに決めたのでした。

 泊駅を出発したのは朝8時。新潟県との県境まではまだ少しだけ距離があり、しばらくは富山県が続きます。でもコースはすでにちょっとした難所。国道8号線は歩行者禁止のトンネルになってしまうので、一本海側の漁師の家が並ぶ小道に入ります。前回の旅日記でも書いたように「行き止まり」を表す「泊(とまり)」駅から先へ進むということは、言ってみれば「行き止まりの先に入って行く」ということですから、難所になるのは当たり前と言えば当たり前ですけどね。

   

 ほどなくトンネルを抜けてきた国道と合流すると、そこにはJR西日本の越中宮崎駅。富山県最後の駅です。駅を越えた所に海に面したマレットゴルフ場があり、ここの正面がスタートからの2400㎞地点となりました。この辺りは「たら汁」が有名なようで、あちこちの民宿やドライブインにも「たら汁」と書かれた看板が掲げられていました。一度味わってみたいと思っていたのですが、なかなか店に入る勇気が出ませんでした。

 越中宮崎駅までは結構な難所でしたが、富山県から新潟県に入る県境は割と平坦な所を歩きます。境川というそのものズバリな名前の川があって、ここから新潟県が始まります。先述の親不知の迂回路である「上路」への分岐点はこの川の手前にあります。

 境川を渡ると(それほど大きな川ではありません)その向こうに「新潟県」「糸魚川市」と書かれた標識が立っていました。そうか、もうここから糸魚川市なんですね。でも実際に今回のウォーキングの終着目標地である糸魚川の中心部は、天険親不知を抜けてまだまだ20㎞以上先になります。

   

 新潟県最初の駅は市振駅。富山県から新潟県へと変わっているものの、先ほどの越中宮崎駅と似た感じの駅で、ホームに立つと線路のすぐ向こうには日本海が広がっています。真冬には立っていられないほどの強風にさらされる駅なんでしょう。今回はこの市振駅に車を置かせてもらっていたので、自分の車があることを確認しつつ、いよいよ天下の険、親不知へ進んでいきます。もうすでに眼前には高い山々が行く手をふさいでいます。

 ほんの数百メートルですが市振の宿場町があり、今も何軒かの民家があります。この日はある一軒のご老人が、捕れたばかりの魚を家の前の土間でさばいていました。通りすがりの旅人である僕に「一匹持っていくかぇ?」とおっしゃってくれましたが、これからまだまだ長い旅路があることをお話しして、遠慮させてもらいました。

 この宿場町を越えて、「さぁいよいよ親不知が始まるぞ」という所に一本の大きな松が立っています。これは「海道の松」と呼ばれ、市振宿の東端に位置します。その昔、北陸道の難所親不知を、東から越えてきた旅人はこの松を見て難所を越えたことを実感してホッとし、西から行く旅人はこの松を見てこれからの親不知の厳しい行程を覚悟して腹をくくったということです。僕の場合はもちろん後者になります。さぁ、天下の険へ突入!!

 旧北陸道の親不知は、海面とほぼ同じ高さを通っていて、波が来るたびに旅人は岸壁の穴に身を寄せてやりすごし、波が引いた瞬間に次の穴まで走る…ということを繰り返して通過していました。よって、親は子のことをかまっている暇はなく、子も親をあてにする暇もない。そんな理由から親不知・子不知という名前が付いたという説もあります(別の説の方が有力ですが…)。

 現在の国道8号線の親不知区間は海面よりかなり高いところを走り、ここからは洞門が続きます。しかも歩道はほとんどない。左手にははるか足下に波打つ日本海!! 右手は壁が立っていて逃げ場はもうまったくない! しかもここを通らないと新潟県と富山県を行き来できませんから、大型トラックがものすごい勢いで暴走していきます。トラックが来るたびに立ち止まって洞門内の壁に体を寄せてやり過ごし…ということをさながらドンキーコングのように繰り返し、まずは親不知の約8㎞を進みました。まさに昔の「波」が現在は「トラック」に変わっているだけで、やはりここは難所です!

   

 その親不知の中でもっとも山が海までせり出している箇所では、国道8号線は洞門ではなくトンネルになっています。洞門なら光が入ってきますが、トンネル内は真っ暗で歩道が無くてはさすがに歩くことはできません。しかしこの区間は崖沿いにウォーキングコース(親不知コミュニティーロードと呼ばれています)が造られていて、そちらのコースをゆったり歩くことができました(もちろんこんな所を歩いている歩行者は僕一人です)。この道路は明治天皇がこの地を通過する時に、その安全を考えて造られたそうです。道路完成を記念し、道路の上にある日本海に面した一枚の大岩盤面には「矢如砥如」(とのごとくやのごとし)と刻まれています。新しくできたこの道路が「砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐである。」と賞賛したものだということですが、この道路を建設するよりも、あんな高い所の岩盤面にそんな文字を彫ることの方がよほど困難な作業であったのではないかと想像してしまいます。

      

 浄土という地域を越えると、天険親不知もいったん終わりを告げ、ほんの少しだけ平らな場所が広がります。この猫の額ほどの平らな地域にちょっとした集落が築かれ、砺波地区・歌地区と名付けられています。海の方を見ると、国道8号線・北陸自動車道(親不知インターチェンジが造られています)が海上を高架橋で走り、北陸本線の親不知駅が寂しげに利用客を待っています。砂漠の中のちょっとしたオアシスといった感じです。もともとここの海岸線にはきれいな白砂が広がっていたそうですが、国道8号線・北陸自動車道の高架橋が造られた時に、その橋脚で潮の流れが変わってしまい、白砂がすべて消えてしまったということです。

   

 さてこれで難所が終わってしまったと思ったら大間違いです。この平らな地区を越えると、再び天下の険が始まります。こちらは子不知と呼ばれ、距離も7㎞ほどあり親不知と同じくらいの難所になっています。やはり洞門が多く、さっきまでと同じようにトラックをやり過ごしながらの歩行がまだまだ続きました。さながらドンキーコングの「ステージ2」に突入したような気分です。

 子不知を通り抜けて、向こうの方に糸魚川の街並みが見えて来た時、本当にホッとした気分になりました。昔の旅人が難所を無事に越えた時の気分をかなり味わうことができたような気がします。糸魚川市街に入ってすぐに広がるこの地域は青海(おうみ)町。

 国道から県道に入ると、トラックの轟音も遠ざかり久しぶりに気持ちも足取りも落ち着きます。距離も距離ながら、やはりトラックの動向に注意を払いながらのウォーキングは、体力も精神も疲弊します。そんな中で右手に見えてきたJR北陸本線の青海駅。目標の糸魚川駅まではまだ1駅ありますが、もう今回はここを終着地にしてしまおうかなぁ…。

 いや、でも糸魚川の中心地はもう見えているし、それほど距離もないだろう。それにここからは歩道もしっかりしているし、これまでの行程に比べたらきっと楽チンなはずだ! よし、もう1駅頑張ろう!!

 ちなみに青海駅から糸魚川駅までは6㎞弱。これが長いか短いかは人それぞれの感覚だとは思いますが、僕にとってはそれほど長いと感じる距離ではありません。しかし…

 この日に分かったことは、歩きやすくしかも直線コースというのは、親不知のような危険きわまりないコースよりも余計に長く感じられるということでした。まっすぐに伸びている直線道路は、目的地は見えるものの、なかなかゴールが近付いて来ないもどかしさもあるのでしょうか…。

 それでも最後まで頑張り続け、午後3時過ぎ、当初の目的地であった糸魚川駅に到着しました。糸魚川は静岡から始まる大地構造線(フォッサマグナ)の終着地でもあります。JRの路線も親不知方面からやってくる北陸本線(下り)、名立方面(次回歩いていく方面です)からやってくる北陸本線(上り)、松本・白馬方面からやってくる大糸線と、3本の線路が集まってきていて、どちらからやって来ても難所を越えて一息つくことができる場所になっています。

   

 次回は、さらに日本海側の新潟県ウォーキングが続き、名立に到着します。



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