第11回 甲西(滋賀県甲賀郡甲西町)→関(三重県鈴鹿郡関町)

平成11年3月16日 晴れ 39.2q 9時間50分

知らないとは恐ろしい…

 前回雨で強制終了を余儀なくされたため、今回は後半から駅のない区間に入り込んでしまうという、計画の立てにくいルートになってしまいました。つまり第4回の旅と同じで、今回も水口(みなくち)駅を越えてしまうと後は県境を越えて三重県の関に到着するまで駅はないのです。その距離約40q!

 とりあえず水口まで行ってみてから先のことは考えようと、甲西駅に車を停めて朝8時20分に出発。天気も悪くないので出だしの気分は上々。ちなみにこの甲西駅はJR草津線に所属します。国道1号線からすぐのところにあり、交通の便もグッド。さらに駅の駐車場は無料。この駅から京都まで電車で40分。そんなわけで京都観光の際にはよくここに車を停めてここから電車で出かけていました。京都市内は車で走りたくないですからね…。

   

 甲西駅を歩き出してすぐに三雲駅を通り過ぎると、意外に早く水口町に入ります。道は2つに分かれ、左は国道1号線バイパス、右は旧東海道。もちろん迷うことなく選ぶ道は右です。やはりウォーキングには旧街道が一番。

 水口商店街は予想以上に寂れていて、でも非常に趣深いものがありました。道路も、石畳とまではいかないけれど歩行者用に石が敷き詰めてあり、「水口宿」という標識も建てられていて、ここは皆さんもぜひ歩いてみてほしいコースです。

   

 足はOK。いよいよ水口を超えると駅はありません。並行して走ってきたJR草津線もここからは山向こうに消えてしまいます。水口宿の東の端にある近江鉄道「水口石橋駅」が、今回のルートではいったん「最後の駅」になります。まぁ厳密にはバス停もあるし、いざとなったら何とかなるんですけどね…。

 段々と旧東海道は国道1号線に近付いてきて、水口町から土山町に入る所で合流します。そしてここからは逆に1号線の左側にまわり、またしばらくは旧東海道のゆったりとした雰囲気を味わうことができました。

 時間もそろそろ昼を過ぎて昼食をとらなきゃいけないし、足も少しばかり休憩を欲しているようなので、ここでいったん国道1号線に出ました。しばらく歩くと看板に道の駅の案内が…。「道の駅:あいの土山:3q」。普段なら3qなんて何でもない距離なのですが、疲れている時はこれが果てしない距離に感じます。何といっても時間にすれば45分くらいかかるのですから。

 そしてさらに追い打ちをかけるような標識が…。「東名阪自動車道:亀山インター:20q」。20qって…。これつまり峠を越えて三重県に入ってってことですよね。この辺りの人は滋賀県民なんだし、普通に考えれば引き返して栗東インターを利用するでしょうに…。この標識必要あるのかなぁ…?

 余談ですが以前、鳥取県鳥取市で高速道路の案内標識板を見かけた時にも、「○○インター76q」とかいうのを見ました。76qって何? こんな標識要るんでしょうか? 地元の人も何だかバカにされているような気がしてしまいますよね。

 ようやく道の駅に到着し、唐揚げ定食を口にしました。正直カサカサであまりおいしくなかったことを覚えています。土山宿はお茶の産地らしく、道の駅の売店ではおいしいお茶が飲み放題でした(もちろん何杯か飲みました)。

   

 さてここから峠にかけて道が広くなります。交通量は多そうには見えないのにどうして広くなっているのか分かりませんが、たぶん「土地があるから」という単純な理由な気がします。道の駅の正面にバス停が見えます。引き返すなら今!とも思いましたが、満腹になり足も少し復活したので、さらに歩を進めていくことにしました。

 前方・左右と山また山。峠が近いことが実感できます。こういう場所はもの寂しいけどとても好き。要は人混みが嫌いってことなんでしょうけど。上方では第二名神高速道路を建設中(現在はもう完成・開通しています)。そんな様子をボーっと眺めながら歩いているといつの間にか曇り空に。やばい! 傘持ってない! 何とか降らないでほしい…。

 左手に熊野神社という神社が見えてきました。心の拠り所だったバス停も滋賀県側はついにここが終点。さぁ、進むべきか、進まざるべきか、それが問題だ! えぇい、しかしここまで来たら行くしかない! GoGo! 鈴鹿峠は目の前だ!

 まさに目の前に山が迫ってきたなぁと思うと、そこにポッカリとトンネルが口を開けています。歩行者にとって、たとえ歩道があったにしてもトンネルは怖いものです。まず第一に音。トンネル内に車が走ると、轟音が響く響く。さらにそれがトラックだと、想像を絶するような音になります。しかもトンネル内にその車が走っている間ずっと轟音は鳴り響くので、途切れることがありません。そして第二に天井。何かあったら逃げられない。地震があったら…。事故が起きたら…。幽霊が出てきたら…。とか考えるととにかく恐ろしい。そしてもちろん暗さも、恐ろしさに拍車をかけます。幽霊はもちろん、コウモリやらヘビやらといった生き物たちも生息していそうな気がしますよね。

 この国道1号線の鈴鹿峠のトンネルは上り・下りが別々のトンネルになっているので交通量が少ないうえ、照明設備も整い、さらにカーブがないので出口も見えており、そこまで怖さは感じずに済みました。何事もなく通過し、三重県に出られてホッと一息…。だが実はこの時すでに「事件」は起きていたのです。知らないということは実に恐ろしい。「知らぬが仏」とはよく言ったものです。その話は後述。

 鈴鹿峠を越えると滋賀県から三重県に入ります(第3回の旅でほんの少しかすめて以来の三重県の地です)が、つまり先程通った土山宿が滋賀県最後の宿場になります。そして三重県最初の宿場は、峠からの坂を下った所にある坂下宿。そしてその次の宿場が今回のゴール予定地である関宿。この辺りの宿場や道中は東海道五十三次の中でもいろんな言い伝えが多い所です。

 この鈴鹿峠は非常に天気が変わりやすい峠です。こちらでは晴れているのに向こうは大雨、なんてこともよくある話。江戸時代の短歌にも「坂は照る照る、峠は曇る、あいの土山雨が降る」と歌われています。この日も滋賀県側は曇ってきていたのに、トンネルを越えた三重県側はきれいに晴れた夕方でした。

 また、この旧東海道鈴鹿峠は実際にはトンネルよりもさらに上にあります(現在は車では旧峠は通過できません)。江戸時代の人々はそこまで頑張って歩き続け、峠を越えたのでした。今でもそこには万人講常夜灯があり往時の面影を残していますが、その昔は今よりもさらに人通りが少なく、山賊の活躍の場でした。山賊は岩陰に隠れ、鏡のようにツルツルの岩(鏡岩と言われ今でもあります)に映る旅人の姿を見つけては狙いを定めていたそうです。

   

 さて峠からの坂を下っていると三重県側の最初のバス停が現れ始めました。ちょっとホッとしました。坂を下る途中で筆捨という地域を通ります。あまりに景観が素晴らしく、画家も絵を描くことをあきらめて筆を捨てた、ということに由来するそうです(他にも筆捨という地名はあちこちにありますが、大体どこも由来は同じようです)。こういった素敵な景色も歩いているとゆっくり眺めることができます。車でのドライブにはない楽しみの1つです。

 しかしこの下り坂は長い。途中またまた発見しました。「亀山インター:10q」の案内。でもすでに三重県に入っているという、また坂を下っているという余裕もあり、「へぇ〜、さっきの看板よりも10qも歩いたんだ」と思うだけにとどまりました。

 そんなこんなで無事に関駅に到着。疲れましたよ、さすがに。時刻は午後5時をまわっていました。関駅から、車を停めてきたスタート地点の甲西駅まで戻るにはJR関西本線というローカル線を利用しなければなりません。こういったローカル線は列車本数が少なく結構早い時間に終電になってしまうので、午後5時とはいえ少し不安でしたが…。大丈夫。さすがに電車はまだまだありました。列車に揺られること2駅。柘植駅でJR草津線に乗り換えた後は甲西駅まで少し休めるなぁ…。しかし!

 JR草津線は終点の草津駅まで行かずに、貴生川駅までの区間で折り返し運転をしているとのこと。これじゃ甲西駅まで戻れない。何? 何があったの? 駅員さんによると、何と午後3時頃比較的大きな地震があったとのこと。「結構地鳴りがして大きな地震だったけど、君は気付かなかったの?」みたいなことを言われました。午後3時頃…。地鳴りなんてしたかなぁ!?

 あぁ、ちょうど鈴鹿峠のトンネルの中を歩いていた時だ、きっと。トラックの轟音で気付かなかったんだ! 「地震が起きたらどうしよう!?」なんて心配しながら歩いていたのに、実際に起きていたなんて。怖い怖い。

 まぁでもケガすることもなく、普通に歩けて良かった良かった。この日は仕方なく、貴生川駅からタクシーで甲西駅まで戻りました。ちょっと痛い出費(タクシー代)でしたが、いい体験をさせてもらいました。

 次回からは、愛知県に向けて三重県を北進します。


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