第116回 小諸(長野県小諸市)→軽井沢(長野県北佐久郡軽井沢町)
平成21年9月24日 快晴 21.2q 5時間0分
キャベツとレタスはどこが違うの!?
さぁ碓氷峠はもう目と鼻の先、長野県とももうじきお別れです。今回はシルバーウィークの最終日を使って長野へやって来て(よってこの時点では高速1000円です)、明日からの平日(木曜日)に歩こうという魂胆です。そうすることで、渋滞にも巻き込まれず、ホテルの宿泊代も安くなるんですね。
小諸から軽井沢まではそれほど難所ではありません。平野部を国道18号線が通っているし、普通に歩けばハイキング気分でも到着してしまいます。しかし、せっかくですから煙を上げる浅間山のふもとを歩きたいなぁと思い、わざわざ坂道を上り、浅間サンラインと呼ばれる道路(こちらもまずまず交通量は多い幹線です)を進むことになりました。
小諸駅を出るとまず国道18号線まで上り坂。さらにそこから浅間山の近くまで上りますから、今回のウォーキングは最初の3qでものすごく標高を上げることとなります。9月とは言えまだまだ日中は暑いですから、何とか太陽が昇る前に坂道を上りきりたいなぁという考えから、今回のウォーキングの出発は早朝5時50分となりました。小諸駅前には何人かのご老人が朝の散歩をしています。
まずは国道までの約1qの坂を上りきり、しばらく東へ歩くと小諸警察署前。ここから再び国道をはずれて坂を上っていくことになるのですが、この小諸警察署前の交差点がスタートからの2600qポストとなりました。それにしても朝の空気は本当においしい!
坂道の途中に小諸高校があります。この高校って生徒達はどうやって通うのでしょうか? 駅からの距離は2q強ですからもちろん自転車でも徒歩でも通えないことはないと思うのですが、先に書いたようにここはものすごい急坂。果たして通えるものなんでしょうか? こういう考え方をするようになってしまったこと自体、僕も年をとってきた証拠なんでしょうかね!?
上信越自動車道を眼下に見ながら、いよいよ東へ道を折れます。まだここは浅間サンラインではなく、その一本南を走る田舎道。所々にちらほらと集落もあり、車の量もほとんどありません。左手には高くそびえる浅間山。今日も雲をかぶることなく、モクモクと白煙を上げています。まさに雄大!! そして右手にははるか遠方下方に小諸の町並み。こちらは浅間山と対照的に何だかおもちゃの国のよう。う〜ん、いい景色だ!
今歩いている道の両脇には畑が広がっています。僕は植物や野菜の名称には詳しくないのですが、恐らくこれはどこからどう見てもキャベツだと思います。そうか、社会で習ったぞ! 長野県は冷涼な気候を生かした高冷地農業が盛んなんだったなぁ。キャベツとかレタスとか…。ん!? そう言われてみれば、よく見るとこれ、レタスかも? う〜ん、どっちだろう?? 一応写真を載せておきます。もしかして、どちらでもなかったりして…!?
小諸市から御代田町に入っても景色はまったく変わりません。はるか右手下の方には国道18号線を走るトラックの音が聞こえます。浅間山の煙はだんだん量が多くなり、ふもとの方まで広がってきています。こんなに近くを歩いていますが、本当に噴火の危険性はないのでしょうか?? 地元の人たちは怖くないんでしょうか??
細い道から本物の浅間サンラインに合流し、御代田町からいよいよ長野県最後の市町村、軽井沢町に入ります。ここからは下り坂になり、浅間サンラインも国道18号線に合流して終了になります。そこは「信濃追分」と呼ばれる宿場で、分去(わかさ)れの碑が立っています。「追分」という地名は今までに何度も通りました。僕の地元の豊川市御油にも追分はあり、そこは東海道と姫街道の分岐点。他にも三重県には東海道と伊勢街道の分岐点である追分(第13回の旅日記参照)、岐阜県の恵那にも美濃追分がありました。
ここ信濃追分は、中山道と北国街道との分岐点になります。中山道はここから南下して和田峠(中山道の最高標高地点です)を越えて下諏訪へ。北国街道は前回まで僕が歩いてきた道を逆に、千曲川に沿って上田、姨捨へ進んでいきます。何度通ってもこういった分岐点は、往時の旅人達が抱擁しあって別れを惜しんだ(場合によっては今生の別れということもあったでしょう)光景が頭に浮かんできて、ホロッとしてしまいます。この場所で多くのドラマがあったんでしょうね…。
この交差点には中山道六十九次の資料館があります。看板には「全国で唯一の中山道資料館」と書かれています。この日はウォーキングの途中だったので立ち寄ることはできませんでしたが、翌日の車での距離測定の際に立ち寄らせていただきました。岸本館長からの面白くて丁寧な説明を受け、旅好きの僕としてはとても有意義な1時間半を過ごさせてもらいました。この場を借りてお礼を申し上げるとともに、僕もまだまだ足下にも及びませんがこれからも頑張って歩き続ける決意を表明したいと思います。
ここからしばらくは国道18号線脇の歩道をトラックとともに歩くことになります。いよいよ眼前に碓氷峠が迫ってきました。避暑地軽井沢という雰囲気も徐々に増してきて、ペンションも目立ちます。国道18号線はこのまま碓氷バイパスで群馬県に入りますが、徒歩の旅人はそんなわけにはいきません。借宿交差点(信号機はありません)から左に折れ、軽井沢の中心部へ向かうことになりました。ここはサルビアが真っ赤に燃えていて目を奪われます。
すぐに右手に見えてくる中軽井沢駅は、もとは沓掛(くつかけ)駅という名前でした。中山道の宿場も沓掛宿です。軽井沢を終点とするしなの鉄道の、終着より1つ手前の駅になります。今回ここまでドリンクを口にすることもなく、トイレに立ち寄ることもありませんでしたが、ここで左手に見えてきた軽井沢町役場で小用を足させてもらいました。たくさんの公務員が働いているのを見て「あぁ今日は平日なんだ」とあらためて実感しました。世間ではシルバーウィークは昨日までだったんですね。職業柄とはいえ、僕って少し世間ずれしているのかなぁ…。
右手にしなの鉄道が併走し、そこに途中から長野新幹線(正式には北陸新幹線)も寄り添って来て、軽井沢駅が近くなっていることが感じられます。僕にとって軽井沢の雰囲気はまさにここなんです! この道、真夏にはメチャクチャ混雑するんだろうなぁ…。今日はそれでも平日とは言え、何組かのカップルや大学生グループが散策しておりました。
軽井沢駅到着は午前10時50分。ちょうど5時間かけて歩いたことになります。今回はここまで。この駅を過ぎると間もなく旧中山道(旧国道18号線)は碓氷峠を迎え、群馬方面へひたすら下っていきます。この軽井沢の人混みももう2qもすると「猿の繁華街」になってしまうのですから不思議です。
ところで前回は見学できなかった懐古園に、今回はようやく訪ねることができました。島崎藤村の記念館にも立ち寄り、藤村像も写真に収めてきました。そこに書いてあって気付いたのですが、島崎藤村は馬篭宿の生まれ。長野県の出身だと思っていましたが、馬篭宿は越県合併によって中津川市に入ってしまっていますから、現在、島崎藤村は岐阜県(美濃)の出身になってしまっているのですね。やはり藤村には「信州」の方が似合うような気がします…。
次回は群馬県初見参、分断されてしまった信越本線跡をたどるように碓氷峠を歩く予定です。