第118回 松井田(群馬県安中市)→高崎(群馬県高崎市)
平成22年5月2日 快晴 22.5q 5時間20分
さよなら18号線…、浅間山だけが見つめ続ける
今回の出発は朝の4時40分。なぜこんなに早いのかと言えば、それは単に目が覚めてしまったからというだけに過ぎません。車を松井田駅に泊め(ここに無料の駐車場がたくさんあることは前回のウォーキングでしっかりとチェックしてありました)、まだ誰もいない駅を後にしました。そう言えば前回のウォーキングの最後は雨が降り出していたので、この松井田駅はいつも薄暗い中で出会っていることになります。正面にはまだ雪を頂いた浅間山がしっかりと見え、今回もずっとこの浅間山に見守られながらのウォーキングになりそうです。
今回の高崎までのコースは、前回の碓氷峠越えに比べると本当に平坦なコースです。せっかくなので国道から少し離れ、高崎までの旧中山道宿場町を順に歩いてみることにしました。まずは松井田宿。ここは妙義山に見下ろされる静かな宿場で、碓氷峠のふもとに作られた坂本宿(前回の旅日記参照)の隣の宿場になります。まだまだ峠の暗さと静けさが残っており(単に時刻が早いために暗くて静かだっただけかも知れませんが…)、この宿場の中心にある原市小学校を越えた交差点が、スタートからの2650qポストになりました。それにしても朝5時の寂れた宿場町は何とも言えないなぁ。僕はこのような空気を味わうために歩いているんだ…。ちなみにこの松井田宿の東端には大きな杉並木が残されていて、旧中山道の雰囲気を盛り上げています。
再び国道を渡ると、次は安中宿。ここは旧碓氷郡役所(1911年築)や新島襄(同志社大学の創始者)旧宅など、ちょっとマニアックな人たちに喜ばれる名所・旧跡が並んでいます。僕もそこそこマニアックな人間だと自覚していますが、それでもこの宿場のことを下調べしてみるまで、これらの史跡は知りませんでした。安中宿を抜けていったん国道18号線に合流すると、すぐに右手にJR信越線の安中駅が現れます。国道にぴったりくっついた、群馬県内の信越線の駅の中では一番にぎやかな駅かも知れません。安中中学校の生徒たちが(日曜日なので部活でしょうか)元気に挨拶して通り過ぎていきました。
安中を越えると、次は板鼻宿。ここは碓氷川の川止めに備えて旅籠が54軒も置かれた大宿場で、上州の中山道宿場の中では一番大きかったと言われています。現在は国道から一本北側に入った道に面影を残していますが、意外にもこの旧道は車の通りが多く、あまり往事の雰囲気を味わわせてはくれませんでした。
板鼻宿を過ぎて三たび国道18号線と合流すると、ここから高崎まではずっとこの国道を歩くことになります。地理的にはすぐに安中市から高崎市に入ってしまい、名物のだるまがあちこちでにらみを効かせています。ある場所では串刺しになりながら(写真左)、またある場所では5人並んで(写真右)、道行く車や旅人(それは僕だけか…)の安全を祈ってくれています。それにしても「串刺し」ってのはいかがなものでしょうか!?
碓氷川の対岸に少林山達磨寺という寺があり、そこに達磨禅師の像が安置してあることから「高崎=だるま」となったようですが、それにしてもあちこちの店に「だるまあります」の看板が立っているのは何だか少し滑稽です(高崎市の方々ごめんなさい)。ま、でも、わが地元の豊川市もあちこちに狐の像が踊ってますから、同じと言えば同じですかね…。
ほどなく国道18号線は終わりを告げます(というか終点から逆にたどってきたので、ここが起点なんですけど)。第111回の旅の途中、新潟県の上越市からずっとお世話になってきた国道18号線。その第111回の旅日記では「そうか、この道路は長野県を経由して群馬県高崎市へ通じているのかぁ」なんてぼんやりと語っていましたが、妙高山や黒姫山をかすめて野尻湖を眺め、牟礼で天狗にも会い、千曲川と上田城跡を味わい、浅間山を見つめて小諸で島崎藤村に会い、軽井沢から碓氷峠を越え、何だかんだ言いながら、とうとう高崎へ来てしまいました。1つの国道をほぼ歩き通す(厳密には所々はずれましたが)のはおそらく始めてだと思います。さよなら、18号線…。浅間山だけがまだまだ僕を見つめ続けていてくれます…。
明治天皇の行幸を記念した君が代橋を渡ってついに国道18号線が消えると、もうそこは高崎市の市街地です。高崎市の図書館や警察署を過ぎ、JR上越新幹線の姿が見えると、高崎駅東口に近付きます。群馬県の県庁所在地である前橋市はここから約10q。歩けないことはなさそうですが、今回は下見も不充分のため高崎駅を到着地としました。出発が早かったためまだ時刻は朝の10時。ちょうど駅前のヤマダ電機さんが開店すると同時のゴールでした。
高崎市は前橋市と並ぶ群馬県の中心都市です。県庁所在地は前橋市ですが、人口は前橋市の約34万人に対して高崎市は約38万人(いずれも平成22年4月現在)。群馬県では押しも押されもせぬ一番大きい都市なのです。そもそも明治維新期、群馬県の県庁所在地は最初は高崎市でした。しかし当時の県庁は安国寺というお寺を利用していて非常に手狭なため、高崎市が新庁舎をたてる間のみ県庁所在地を前橋城跡に移すということになったのです。しかしその際に前橋市民が「県庁は前橋で」という激しい誘致運動を起こし、結局そのまま二度と高崎市に県庁は戻ってきませんでした。高崎市と前橋市は今でも対立関係にあるとか…。
確かに交通の面から言えば、要衝となっているのは前橋ではなく高崎の方です。JRの上越線も高崎駅は通っていますが前橋駅は通っていません(前橋駅は両毛線になります。ただし上越線に「新前橋駅」は設置されています)。また信越線も高崎駅が起点ですし、上越新幹線にも高崎駅はありますが前橋駅はありません。また高崎駅からは長野新幹線(正式名称は北陸新幹線)も分岐しています。僕も旅程を組む際には必ず高崎を中心に考えています。
これって埼玉県で言う、かつての浦和市と大宮市に似ていますね。県庁所在地は浦和市でしたが、交通の要衝は大宮市。東北新幹線と上越新幹線の分岐も大宮駅。浦和駅自体が新幹線駅はありません。結局現在は、大宮市と浦和市(と与野市)が合併してさいたま市となっていますが(もちろん県庁所在地もさいたま市です)、高崎市も最近大合併をくり返していますから、もしかして将来、前橋市と高崎市との大合併!なんてこともあるかも知れませんね? 実際にそんな構想もないわけではないそうですが、合併してできる市名は「浦和+大宮=さいたま」にならって「ぐんま市」ですかね!? そうしたらまたまた小学生に教える県庁所在地が1つ変わってしまうなぁ…。プリント作り直さなきゃ…。
次回は群馬県を東へ進み、日本で一番暑い気温を観測したことで有名な伊勢崎市を目指します。