第125回 東京日本橋(東京都中央区)→鶴見(神奈川県横浜市鶴見区)
平成23年11月4日 晴れ 23.0q 6時間40分
お江戸日本橋、五つ立ち
長かった日本海を巡る長旅を終え、今回からは新たな旅がスタートします。前回到着したのは今も昔も変わらず日本の道路の起点となっている日本橋。ここからしばらくは旧東海道に従って京都に「上京」したいと思います。
今回からの東海道五十三次の旅に先立ち、今までとは違って新たな「マイルール」を設定しました。
1 日本橋から京まで、すべての宿場を通過せずにのぞく。
2 古い町並みが残っていれば、バイパスではなくそちらを通る。
3 なるべく旧東海道からそれることなく歩く。
4 ただし車が通れない道は歩かない(これは今まで通りです)。
5 各宿場では名物があればそれを必ず1つは食べる(または土産に買って帰る)。
今までの旅は「距離を頑張って歩く」ということに結構重点を置いていましたが、要は今度のシリーズは純粋に東海道中を楽しもうというわけですね。何だかとても楽しみになってきました。
さてかつての江戸時代の旅人たちは「お江戸日本橋七つ立ち」と言って、朝4時頃に出立するのが定番のようでしたが、今回は僕は始発の新幹線で豊橋を出てきたため、さすがにその時間に歩き始めるのは無理でした(というか朝4時はまだ布団の中でした…)。東京に着いて、神田から銀座線で三越前へ。そこから地上に出て、いよいよ前回のゴールとなった日本橋をスタート!! 朝8時40分。お江戸日本橋を「五つ立ち」です。
せっかくなので日本橋の真ん中に埋めてある道路元標を写真におさめたくて、何とか遠くから撮ってみました。本当は近くから撮りたかったんですけど、交通量の関係でそれは無理でした…。下の写真のトラックの手前に見える道路に埋まっているアレ、アレが道路元標なのです。
さて日本橋を出てしばらくは国道15号線を歩き続けることになります。第一京浜と呼ばれる国道なのですが、平日の朝とあって出勤人が多いですね。てか僕は完全に浮きまくりです。しかしとりあえずこんなこともあろうかと、今回はジャージで来るのはやめたので、それだけは正解でした。それでもジーンズにTシャツ姿は一人だけでしたけどね。
それにしても話には聞いていましたが、出勤する東京の人って赤信号をまったく守りませんよね。今まで色んな所を歩いてきましたが、赤信号で立ち止まっている自分が何だか悪いことをしているように思えてしまったのは初めてでした。しかも各信号ごとに毎回…。ほんに東京は恐ろしげな所だぁ…。途中、さっそく大政奉還・江戸城無血開城に向けて、勝海舟と西郷隆盛が対談したという記念碑を見つけました。この東海道の旅はまだまだいろんな歴史に立ち会えそうな気がします。
最初の宿場である品川までは約9q。徒歩にすれば約2時間のはずです。予定通り朝10:30頃に品川宿に到着。ここはまだ江戸の中という設定で、江戸四宿の一つに数えられています。ちなみに江戸四宿とは、品川(東海道)、内藤新宿(甲州街道)、板橋(中山道)、草加(奥州街道・日光街道)の各宿場で、それぞれの街道の最初の宿場町に当たります。これらの宿場は宿泊客というより、旅人を見送りに来た人たちで賑わっていた宿場だったようです。そんな品川宿は、現在はコンビニあり、スーパーあり、とても現代風になってしまっていました。さらには道路工事も行われており、往時の風情をあまり感じることができなくて残念でした。ちなみに工事名に「昔の品川宿の景観を保存するための工事」とあったのには苦笑してしまいました…。
品川宿は宿場自体が思ったよりも長く、入ったはいいものの、抜ける頃には正午に近いくらいになってしまっていました。この日は11月にしては季節はずれの「夏日」で汗ばんでも来たし、まず最初の宿場での名物はお昼ご飯にしようと決心しました。この先にある鈴ケ森刑場に送られる罪人を見送る場所としてその名が付いた「泪橋(写真左)」を越えるとすぐの所においしそうな名物穴子天丼のお店を見つけ、ここで昼食としました(写真右)。
鈴ケ森刑場もすぐ横を歩きましたが、こちらは写真は撮りませんでした。何か違う「もの」が写ってしまいそうで…。ま、現在は小さな小さな墓地なんですけどね。
さて陽も高くなり、ここからは11月の暑さとの戦いです。しばらくは国道沿いの歩道を歩くしかないし、東京都内を出るまではひたすら歩を進めるだけとなりました。暑いとは言え一応暦の上では「霜月」ですから、神奈川県との県境に来た頃には結構太陽は西に傾いてしまっていて、何だか寂しい感じ。この県境の川は多摩川です。そしてここに架かる橋は六郷橋。千住大橋・両国橋とならんで江戸の三大橋と言われたうちの一つです。そしてその昔はここは「六郷の渡し」という渡し船で旧東海道をつないでいました。それの名残として今でも六郷橋の欄干には「渡し船」が乗せられています。まるで金の鯱のように…(写真左)。
この橋を渡りきるといよいよ僕の旅は神奈川県へ。18個目の都道府県へ足を踏み入れることとなりました。そして関東地方の6都県もすべて踏破したことになりました。ものの1qも行かないうちに旧東海道は川崎宿へ。JR川崎駅の南側を通るのですが、ここは品川宿以上に「現代化」されてしまっており、正直あまり見るべきものはありませんでした。よってここでは小休止はせず、川崎宿の西のはずれにある鶴見の方へ。
厳密には鶴見は川崎市ではなくすでに横浜市になります。しかし次の宿場「神奈川宿」まではまだかなりあるので、一応鶴見も川崎宿の一部として考えることにし、今回はこの宿場でおみやげを買って鶴見駅を終着地としました。ここは曹洞宗の両本山、福井県の永平寺と並ぶ総持寺が近くにあり、かつて一度研修(というか一泊修行)に来たことがあります。もう10年以上も前の話です。懐かしくなりました。確かあの時は、駅前のガード下で「野菜炒め定食食べたなぁ…」とか。
この駅から徒歩3分くらいのところにある清月という和菓子屋さんの「よねまんじゅう」(写真左)。これが絶品です。今回はこれを買っておとなしく帰途につきました。
次回は相模路をさらに西進していきます。