第129回 三島(静岡県三島市)→吉原(静岡県富士市)

平成24年5月25日 曇りのち雨 25.1㎞ 6時間30分

富士の高嶺に雪は降りけむ(過去推量)

 前回の箱根越えがあまりの苦行だったために、今回のコースは非常に平坦なものに感じてしまいます。少なくとも歩き始めるまではそんな風に思っていました。しかし…。

 とりあえず今回は久しぶりに車でやって来たので、始発で豊橋を出るよりも相当早い時間の歩き出しとなりました。しかし空は曇り空。しかも午後からはにわか雨もあるのではないかという予報…。本当は歩くときにはできるだけ荷物を減らしたいのですが、仕方なく傘を持っての出発となりました。ま、結局は役立ったわけですけどね。

 それにしても駿河の国の旧東海道はあまりにもアップダウンが無さ過ぎです。この後いくつかはあるのでしょうけど、少なくとも箱根を越えた直後の富士の裾野はまったくと言っていいほど坂がありません。もちろん歩きやすいのですが、あまりにも何もないと逆に距離の長さが実感されてしまうものです。最初の1時間で実感として結構体力を消費してしまいました。しかも雨が降り出す前と言うこともあってか非常に蒸し暑い。気温は20℃くらいまでしか上がってないと思いますが、汗がジワジワとしみ出てきて、こういう気温だけでは計れないものを「不快指数」で計るんでしょうね。

 途中までは交通量の多い旧国道1号線沿いを歩くことになるのですが、沼津あたりから狩野川沿いに旧東海道が大回りをするので、せっかくだから車が少ないそちらの方を歩いてみました。できるだけ当時の面影を出すように復元してあるとかで、ここだけはとても気分良く歩くことができました。

          

 しかし、惨事はこの後に起こったのです。このアドリブの回り道をしてみたおかげで道を1本間違えてしまったのです。旧東海道からは完全に外れ、気が付くといつの間にか沼津港にやって来てしまっていました…。そういえばやけに海のにおいが強くなり、魚屋さんが多くなってきたなぁとは思っていたのですが…。地図を確認すると沼津港はちょっとした半島の先の方なので、結構頑張って戻ることになりそうです。はぁ…。しかも曇っているから港の様子も何だか暗い。

               

 でも神様は見捨ててはいませんでした! この道に迷い込んだおかげで逆に、この一帯に広がる「千本松原」をじっくりと味わい楽しむこともできました。これはまさに「けがの功名」。本当に松原のど真ん中の道を歩くことになり、ちょうどこの辺りで風も心地よく吹いてきたので、今回のウォーキングの中でホッとするオアシスとなりました。当然のごとく、毎回歩くたびに新しくする僕の携帯の待ち受け画像も今回はこの松原にしました。
         
                

 小1時間ほどで予定通りの旧東海道に戻りすき屋で朝食をかきこむと、いよいよ暗い空から雨粒が落ち始めました。それでも30分ほどは傘を開かなくてもいいほどの雨だったのですが、片浜駅を過ぎ、次の宿場である原宿辺りからは結構本格的な雨になってきてしまいました。傘を広げると本当に歩きにくいし、またムシムシし出すし、しかもなかなか雨は止まないし…。にわか雨って言ってたじゃん。飲料補給も兼ねて小さな商店の軒先で5分ほど雨宿りをさせていただきました。店の中ではおばぁちゃんが二人、何だか楽しげに外の雨を眺めながら話し込んでいました。月並みな言い方ですが、ここだけ時間が止まっているようで、暖かな気持ちになりました。。

 でも気持ちは暖かくなっても雨の方はまったく止む気配を見せず、それどころかますますひどくなるばかり。歩を進めていくと道は田子の浦に出たのですが、山部赤人さんが眺めたらしき富士の高嶺は今日はまったく見えませんでした。

 ちなみに赤人さんの「田子の浦」の歌は万葉集と新古今和歌集の両方に違った形で載せられていることは有名です。新古今和歌集の方(こちらが新しいのですが)は「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」。これだと、田子の浦「に」ですから、確かに田子の浦から眺めたことになるでしょう。しかも、降り「つつ(継続の助動詞)」ですから、眺めたときに降っていたことになりますね。

 それに対して万葉集の方の歌は「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」となっています。こちらが古い方ですから本歌なんでしょう。これだと、田子の浦「ゆ」ですから「田子の浦を通って」という意味になり、田子の浦を通って富士の高嶺が見えるところまで出た、ということになります。つまり田子の浦からは見えなかったということですよね。しかも、降り「ける(過去・詠嘆の助動詞)」ですから、眺めたときに降っていたわけではありませんね。

 今回の僕の状況はどちらかと言えば万葉集バージョンの方に近いような気がしますが(ちなみに個人的にも「優しい音」になってしまっている新古今和歌集の方の和歌よりも、ものものしい感じの万葉集の方の歌の方が好きなんですけど)、富士の高嶺は見えていないわけですから「富士の高嶺に雪は降りけむ」でしょうかね。「けむ」はもちろん過去推量を表す助動詞ですから、「降って積もっているはずなんだけどなぁ」という感じになるでしょうか。しかし一つだけ今の僕の田子の浦にいる状況が万葉集バージョンの状況と大きく違うところは、万葉集時代には富士山は活火山だったということです。つまりいつ噴火するか分からない状況の山だったわけで、思えば赤人さんはよくものんきに田子の浦を通って歌なんか詠んでいたなぁと思いますよね!?

 この天気じゃ富士山も見えないし、今回は予定を少し短くして次の吉原宿でストップとしました。吉原駅を出てすぐの所に旧東海道には2カ所しかない「名勝左富士」もあるので、そこは天気のいい日に歩きたいなぁということも含めて今回は吉原駅で傘をたたみました。

          

 本当に余談なんですけど、上の吉原駅の写真。オレンジ色にアルファベットが大文字で書いてあるところといい、「吉」の文字が付くところといい、何となく某牛丼屋さんの看板を思い出してしまいませんか。そんなどうでもいいことを思い浮かべながらトボトボと帰りの電車に乗り込んだのでした…。

 次回はいよいよ東海道の名勝を眺めて(天気次第ですが…)、「太平洋側の親不知」と呼ばれる、桜エビで有名な由比に向かいます



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