第13回 加佐登(三重県鈴鹿市)→富田浜(三重県四日市市)
平成11年4月4日 晴れ 18.7q 5時間30分
「〜したことにする」的考え方
前回の雪から約2週間。いよいよ4月になり、新社会人としての勤めも始まりました。「学生」ではなく「社会人」としての新生活。でもこのウォーキングはやめることなく続きます。ただ1点、「仕事に悪影響だけは絶対に出さないように」という新しいマイルールが増えました。ま、当たり前の事なんですけどね!
加佐登駅を出ると小径が続いています。国道1号線の下をくぐったかと思うと、高架で1号線の上をまたぎ、1号線の左右を行ったり来たりしているうちに、次の宿場町である石薬師(いしやくし)に到着しました。
石薬師といえば、この地出身の国文学者、佐佐木信綱です。彼は万葉集などの研究により文化勲章まで受けた人物です。もとは「佐々木」だったのですが、中国に留学した際に、「々」という漢字が中国には存在しないということを知り、「佐佐木」に変えたそうです。その佐佐木信綱記念館がすぐ近くにあります。文学好きな僕としてはかなり興味を引かれましたが、ウォーキングの最中ではあまりゆっくり見学できないかなと思い、今回は見送ることにしました。でもその後、結局ここには一度も訪れていないので、やはりチャンスを逃してはダメなんですね。
余談ですが、三重県というのは国文学にゆかりのある人が多い県だと思います。僕のこの旅日記「僕の細道」のモデルとなった「奥の細道」を書いた松尾芭蕉も三重県伊賀の出身だし、前述の佐佐木信綱といい、古事記の研究で有名な本居宣長(松阪市)、作家の江戸川乱歩(名張市)など、北半分を見渡すだけでも国文学に関わりの深い人物をたくさん出しています。花巻や遠野を擁する岩手県と、いい勝負するくらいじゃないでしょうか。
再び国道1号線と合流するとすぐに四日市市に入ります。地名は釆女(うねめ)町。前回歩いた川合町辺りから1号線は片側2車線の広さを取り戻しているのですが、この先伊勢方面から国道23号線(名四国道)が近付いてきて併走するようになると、幹線の座をそちらに譲ったかのように1号線は急に狭くなります。僕はやはり交通量の多い幹線道路は避けたいので、(国道23号線ではなく)左折して1号線の方に入りました。
その先に近鉄内部線の追分駅があります。「追分」とは全国津々浦々にある地名ですが、大きな道どうしの分岐点を指します。僕の地元の御油にも「追分」があり(これも国道1号線沿いです)、ここは旧東海道と姫街道(及び秋葉街道)との分岐点になっているのです。それを示す灯籠も交差点に残っています(現在の追分交差点ではなく、旧街道の交差点にあります)。
三重県の方の追分は、京都に向かう旧東海道と、伊勢神宮に向かう伊勢街道との分岐点になります。つまり江戸から来た人物から見て、左は伊勢神宮へ、右は京都へ、ということになるのです。そしてこの交差点には小さな鳥居があって…。
その昔、まだ車がなかった時代のこと、お伊勢参りをしたいのに時間がなくて先を急がなくてはいけない、でも三重県を通るなんて一生に一度あるかないかのことで、もう二度とお伊勢参りの機会はないかも…って人は結構いたはずです。そんな人々はこの交差点に設置してある鳥居を参拝し、「伊勢神宮に参拝した」ということに(自分の中で)してしまったということらしいのです。つまりこの交差点にある鳥居は、伊勢神宮からの「神様の出張サービス」というわけ…。
何とおおらかな考え! でも世知辛い現代にもこういったアバウトな考え方って必要なんじゃないかなって思いますね。特に「形のないもの」に対しては…。
この日はこの後段々と暑くなり、四日市市の中心にあるJR関西本線の富田浜駅を終着地としました。2週間前はあんなに寒くて雪が降っていたのにね。こうやって自分の身をさらして旅をしていると、気候や空気の変化を肌で感じることができ、何だかとても贅沢な旅をしているような気がしてきます。
次回はいよいよ県境を越えて愛知県に戻ってきます。