第131回 清水(静岡県静岡市)→宇津ノ谷峠(静岡県静岡市)

平成24年9月7日 晴れ 22.2q 6時間10分

老舗200年は砂金の味!

 大きな峠を越え、前回から駿河の平野に入ったばかり。江尻宿から宇津ノ谷峠までの区間は、徳川家康が幼年期と晩年を過ごした駿府城を中心に、しばし平坦な平野が続きます。その中心には安倍川が流れ、振り返ると富士山。今回はこんなコースを灼熱の太陽にさらされながら歩こうと思います。

 清水駅を出てすぐに旧東海道に合流すると、駅前商店街を含めて、江尻の宿場になります。しかしかつての建物や宿場の様子はすでに消え去っており、今では普通の民家が並んでいるだけ。早朝のため数人のご老人が歩いているのに出会うだけで、江尻宿の中心にある稚児橋(ちごばし)に到着しました。

 稚児橋はかつて架橋の後の渡りはじめの儀式の際に、川から子供が出てきたという言い伝えがあるということらしいですが、細かいことはよく調べていないですが、これって「河童」伝説ですよね。見たところこんな町中に河童なんて出るものなんでしょうか!? 欄干に刻んである稚児の絵も、どう見ても河童そのものでした。

 旧東海道は現在の国道1号線の1本南を走る県道沿いになります。そろそろ近隣の小学校や中学校、高校の通学時間になり始めているようで、すでに汗をかき始めている私の横を自転車で通り過ぎていきます。この時間帯って一番歩きにくいんですよね…。小学生くらいだと2列になって歩いているから道(歩道)を譲ってあげないといけないし。おかげでちょっとペースダウンしながら草薙に到着しました。

 草薙からはJR東海道本線を高架で渡って国道1号線に合流します。右手には静岡鉄道(略して静鉄)がゆっくりと走り、短い駅間でトボトボと停車しながら私を追い抜いていきます。左手には大きなショッピングモールが並び立ち、県庁所在地の静岡市の中心部が近付いてきていることを実感します。

 この「静岡〜清水」のコースは、第28回の旅で逆向きに歩いたことがあります。平成12年1月ですから、今から12年半前のこと。まさにこの国道1号線を歩いたのですが、その時にはこのショッピングモール群はなかったような気がします。いや、あったかなぁ!? あんまり記憶がないのですが、しかし静鉄が走っていたことは覚えています。当時はまだ鉄道マニアではなかったのでただ眺めているだけでしたが、今はやはり「乗ってみたい」と思ってしまいます。今回は乗る機会はなかったですが。

          

 この静鉄の春日町駅あたりから国道1号線と別れ斜めに細い道を入っていくと、いよいよ駿府城趾に近付きます。現在は中堀の一部が残り、城趾は駿府城公園になっています。左手には静岡市役所。駿府は江戸時代、初代将軍徳川家康公が二代秀忠に将軍職を譲った後、1616年に没するまで隠居生活を送り、また大御所政治を行って江戸とともに栄えた地です。旧東海道としては城下町として府中宿が置かれ、南には弥生時代の遺跡である登呂遺跡。さらに南には家康が葬られた久能山東照宮(ただし1年後には日光東照宮に改葬)もあり、本当に歴史の中で何度も表舞台となってきたのだなぁと実感できます。そういえば久能山にある久能寺はもともと飛鳥時代に推古天皇が建てたものだったような気がします。

 府中の宿場としては、現在はあまり当時の雰囲気は残っていません。ただ今回のウォーキングで楽しみとしていたのは、宿場の西の端を流れる安倍川を渡る直前にある、安倍川餅で有名な「石部屋(せきべや)」。文化元年(1800年くらい)から続く老舗で、現在も旅人達に安倍川餅を食べさせてくれるという茶店とあらば、これは何としても立ち寄りたいところです。文化元年ということは残念ながら「うっかり八兵衛」は立ち寄ったはずがありませんが、江戸時代に安倍川の渡し船を待つ多くの旅人が立ち寄ったのと同じ茶店で餅をいただけると思うと、本当に時間の流れというものに感じ入ってしまいます。

          

 今回食べたのは安倍川餅1人前600円(写真右)。きな粉とこしあんが5個ずつ計10個の餅が1人前なのですが、僕はやっぱりこしあん派。粒あんは嫌いなのに、こしあんは大好きなのです。でも安倍川餅としてはおそらくこしあんは「邪道」なんですよね。なぜかというと、安倍川餅はもともと徳川家康への献上品。安倍川の上流で採掘される砂金になぞらえて「金粉餅(きんこもち)」として献上されたものを、家康が「それなら安倍川餅という名称にせよ」とのことでできあがった東海道の名物です。現在は安倍川以外でも販売されているのでこの名前の由来はあまり追求されなくなりましたが、正真正銘の安倍川餅は実は「きな粉=金粉」なのです。ということで、もちろんきな粉の方もおいしかったことをここに付け加えて、家康公に報告しておきます。

     

 さて食べ終わると再び灼熱の炎天下へ。すぐに安倍川を渡り、旧東海道は丸子宿へ向かいます。この辺りを歩くのは実は3回目。先ほど述べた12年前に1回と、平成15年(9年前)に1回。しかしその2回とも旧東海道の丸子宿へは踏み込まずに現在の国道1号線の方を歩いたので、実際に丸子の宿場へ入っていくのは初めてになります。興津あたりから続いていた平野部も再び終わりに近付き、目の前には山が立ちはだかり始めました。丸子宿と岡部宿の間にある宇津ノ谷峠が近付いていることが分かります。

          

 丸子宿は本当に小さな宿場です。ここの名物は「とろろ汁」。広重の絵にも描かれている「丁子屋(ちょうずや」が現在も丸子橋のたもとで営業を続けています。本当に広重画のとおりの店構えで、きっと江戸時代の人々も、今僕が見ている風景と同じ風景を見たのでしょう。当然のように店内に入りとろろ汁を…といいたいところでしたが、先ほど安倍川餅を食べてしまったばかりのため(実はとろろが苦手、ってことの方が大きな理由かな)今回は外から眺めるだけにしました。でも今度車で距離計測に来たときには入ってみようと思います。

          

 丸子宿を抜けると、もう静岡市内の賑やかな空気はまったくなくなっています。静岡らしく広がる茶畑が目をなごませてくれます。山によって視界もだんだん狭くなり、見上げると秋になり始めた青空もせまくなっていました。

             

 さらに1時間ほど歩くと今回の終着地である宇都ノ谷峠。厳密にはトンネルの手前の道の駅です。前の2回はどちらも宇都ノ谷峠はトンネルで通過して来ましたが、今回はせっかくの「旧東海道をたどる旅」なので、トンネルは通らずに峠を歩こうと思います。よって今回はここまで。第99回の旅で到着した「荘川」以来、本当に久しぶりにバス停での歩き終わりとなりました。しっかりと体力を温存した上で、次回、峠越えからスタートしようと思います。



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