第132回 宇津ノ谷峠(静岡県静岡市)→金谷(静岡県島田市)
平成24年10月12日 晴れ一時豪雨 26.5q 7時間20分
♪山を飛び谷を越え…金谷の町にやって来た♪
秋も深まってきた10月半ば…。と言いたいところなのですが今年の夏はなかなか立ち去ってくれず、この日もまだ25℃を越える気温の中でのウォーキングとなりました。
朝はそれでもさすがにひんやりしていて、半袖でバスに乗っている僕には周囲から奇異の目が注がれていました。この時期は各高校とも中間試験の真っ最中のようで、バスの中は単語帳を開きながらすでに冬服で登校する高校生達でいっぱい。そんな中で一人、「東海道ガイドブック」を開きながら夏服でバスの座席に腰掛ける僕は、確かに周囲から浮いていても仕方ないですね…。
さて宇津ノ谷峠に到着したのは午前7時。そこそこの早朝の時間帯の上に、宇津ノ谷のバス停は峠の東側のまさに山あいにあり、日も当たらず、半袖でいることが一瞬だけ後悔されました。でも歩き出してしまえば大して気にもならないのですが。
前回は峠の手前で終わったので、今回はいきなり峠越えとなります。国道から脇道へ入っていくと、そこは情緒あふれる山あいの宇津ノ谷集落。朝なのでまだ活気もなく、家々に掲げられた屋号が歴史の重みを感じさせます。ここはかつて豊臣秀吉が小田原征伐の際に通り、その時に秀吉からもらったというお羽織が飾られている「お羽織屋」が有名で、そこにはかつて鬼となってしまった小僧さんを退治したといういわれから誕生した十団子(とうだんご)も売られているとのこと。楽しみにしていたのですがこんな時間帯ではまだ店が開いているはずもなく、今回は街並みを楽しんだだけで終わってしまいました。今度車で距離計測に訪れるときに必ず立ち寄ります!!
町はずれの階段を上るとすぐに道は3つに分かれます。1つは昔ながらの旧東海道。これは現在は葉っぱが生い茂る小径になっており「車が通れないところは歩かない」のルール通り僕のコースにはなりません。残る2つはどちらもトンネルで宇津ノ谷峠を越えるルート。一方は明治時代に開通した「明治トンネル」。もう一方は大正時代に計画が立ち昭和時代に完成した「大正トンネル」。どちらにしようか迷いましたが、調べてみると「明治トンネル」には「出る」というウワサ。よって必然的に「大正トンネル」の方を通ることに決まりました。旧国道1号線で、現在は県道に格下げになっている道です。近くに製材所か何かがあるらしく、結構頻繁にトラックも通ります。これなら「出て」来られまい!!
しかし現実には大正トンネルの方だってかなり怖かったです。朝方の静かな時間帯だったってこともあったのでしょうが、「明治」の方にしなくて本当に良かったと思いました。通る前に写真を撮ったのですが、とりあえず何も写ってなくてホッとしました。
トンネルを出るとそこから藤枝市。長く続いた静岡市ともお別れです。そして一気に気温が上がり、日も当たり、暑くなってきました。ここからしばらく、岡部宿と藤枝宿は過去に何回も歩いたことのある通りです。よって特に道に迷うこともなく無事に歩いていけましたが、西に向かって歩くのも、また旧街道を歩くのも初めてなので、国道とはまた少しだけ違った雰囲気があります。「松並木」と呼べるほどではないものの、ところどころに風情のある松も残っており、非常に快適なウォーキングを楽しむことが出来ました。ただ何度も繰り返しますが、10月半ばだというのにとにかく暑い…。
藤枝から島田に向かう道のりはそこそこの距離があります。ここらで一服して水分を補給しようかなと思い、道端の自動販売機に手を伸ばしてみると…、なんとボタンの横に小さなアマガエルが鎮座しておりました(下の写真左)。こんなに天気がいいのに、雨が降る予兆なのかな!? ふと西の方を見ると松の木と田園風景という東海道独特の景色の向こう側に何となく薄黒い雲が確かにあるような…(下の写真右)。
でもまぁさすがに天気予報も降水確率10%以下って言ってるし、傘も持ってきていないし、そう思いながら再び歩き始め、藤枝・島田間にあるJR六合駅の近くのお寿司屋さんで昼食をとりました。暑いので冷たいものがいいなぁ…と。そしてしっかり腹を満たして精算を済ませ歩き出そうと店を出ると…。何と外はいつの間にか雷と豪雨。しまった!という思いと、店内にいて良かった!という思いの両方を感じながら、とにかく傘がないので小降りになるまで雨宿りをさせてもらいました。その間約15分ほど…。
で、とにかく小降りになったので、あまり長居してもお店にも迷惑がかかると思い、不安を感じながら歩き出してみました。しかし前方にはまだまだかなり危なそうな黒い雲(下の写真左)。暑さは無くなったものの、いつでも再び雨宿りの体制に入れるように庇のある店をキョロキョロ探しながら歩きました。案の定時折雨は強くなり、キャバレー(もちろんまだ真っ昼間なので開店前です)の庇や、「時の鐘」で有名な大善寺の山門の下でチョコチョコと雨宿りを繰り返すこと約1時間半。島田宿に到着した時もまだまだ空は不安のままで(下の写真右)、今回は大井川を渡る手前で終了にしようかなとも思いかけました。
でも、ここへ来て西の空は何となく青さが戻り始め、しかも島田宿と次の金谷宿の距離は約4q未満。ここは進むしかない!! 大井川を渡っている橋の上は絶対に雨宿りは不可能ですからこれは1つの賭なのですが、それでもここは長年の経験から来る「勘」を信じて…。
大井川は言わずと知れた「越すに越されぬ」東海道の難所。江戸幕府はもちろん防衛上の理由から架橋を禁じ、島田側と金谷側それぞれにはたくさんの人足たちが常に待機をしていました。今でもこの通りはかつての風情をしっかりと残した街並みになっています(下の写真)。厳しい修行を受けた人足がたくさんいたとは言うものの、豪雨で増水すれば川止めになることも多く、島田・金谷の両宿は多くの旅人で賑わったと言います。東から西へ向かう僕のような旅人は金谷で、逆に江戸へ向かう旅人は島田で、無事に大井川を超えた水祝いをあげたという資料も残っているほど、当時のこの大井川越えは大変な難儀でした。
僕が歩いたこの日は人足さんがすでに一杯やってしまっていて(下の写真左)、自分の足で大井川(もちろん大井川橋)を渡るしかなかったのですが、それでもこの川越え遺跡(下の写真右)を眺めながらの15分はまったく飽きませんでした。西の空も明るくなり、雨の心配も無くなってきたようだし…。
大井川を渡りきると旧金谷町。現在は島田市に併合されているので、島田市のままなのですが、個人的には島田市と金谷町は合併してほしくはなかったです。なぜかと言うと、この大井川はかつての駿河国と遠江国の国境。ある意味この合併は「越境合併」なのです。現在は駿河も遠江も静岡県なので「越県合併」という話題にはなりませんでしたが、こういった昔ながらの文化にも気を遣って合併してほしいものです。歩く旅人としては「大井川を越えた」という実感が半減してしまいます…。
大井川西岸からいよいよ目の前に再び山がそびえ立ってきます。金谷駅から出ている大井川鉄道の線路を踏切で渡るといよいよ金谷の街並みが連なり始め、この街並みの中の清水橋の橋上が3050qポストとなりました。3000qを越えて最初の50qポスト。また4000qに向けて第一歩を踏み出したんだなぁという気持ちになりました。
宇都ノ谷峠越えを控えた前回の宇津ノ谷と同様、今回も金谷越え・小夜の中山越えという大きな峠越えを控えたここ金谷でウォーキング終了となりました。今回の旅は歩き出しでいきなり峠を越え、平野→大河と歩いて、また山の手前。そして前回と同様今回も「谷」が付く地名で終了。静岡県は何だか同じようなコースの繰り返しなんですね。金谷駅のホームから次回越える金谷の山並みを見上げていると帰りの電車がホームに入ってきました。