第133回 金谷(静岡県島田市)→浜松(静岡県浜松市)
平成24年11月16日 快晴 46.3q 12時間30分
秋の日はつるべ落とし…
前回の最後に大井川を越えて、いよいよ駿河国に入りました。故郷の三河国まではあと少しです。距離にすると100q未満。江戸時代の人なら2日で歩いたでしょうか…。
今回はまず最初から激しいアップダウンが待ちかまえています。箱根越えの時でさえ最初の1時間あまりは平坦な道が続きましたが、今回の「金谷坂」「小夜の中山」は、宿場を抜けるといきなりの急坂が始まります。しかも丸石が敷き詰められた石畳(写真左)。風情はありますが、足腰にかなりこたえます。早朝ということでまだ誰もいないし、だから何となくうっそうとしていて怖いし、後ろに富士山がキレイに見えることを確認するので精一杯でした(写真右)。でも何だか今回の東海道の旅で初めてきれいな富士山に出会えたような気がするなぁ…。
30分ほどで上りきるとすでに汗だく! 11月も後半というのにタオル持ってきて良かったです。コートは早くも脱いで手に持つことになりました…。視界は牧ノ原台地の一面の茶畑です。早朝の新鮮な空気といい、早起きは本当に三文の得だな。
せっかく上ったのに今度は下り坂。こちらは「菊川坂」と呼ばれて同じように石畳が敷かれています。いつも思うのですが、人間の足って下り坂の方が負荷がかかりますよね。もちろん上り坂の方が位置エネルギーを得るために力が必要なのは言うまでもないのですが、転がってしまうのを止めるために膝にかかる負荷は絶対に下り坂の方が大きいと思います。しかも下りの石畳なんて…。写真だと下り坂をあまり認識できないかも知れませんが、転ばないように、足をひねらないように相当気をつかいました。歩き始めて1時間で早くもかなりお疲れ。でもこれはまだまだ序の口でした。
菊川宿は金谷宿と日坂宿の間にあるひっそりとした宿場です。五十三次には数えられてはおらず、間の宿という位置づけで、本陣や旅籠がないので本当に小さな集落です。アッという間に通り抜けて再び上り坂に差しかかりました。今度は小夜の中山峠。「箱根峠」「鈴鹿峠」と並ぶ東海道の三大峠です。
こちらもいきなりの急坂で、乾いたばかりの汗が再び急流となって首筋を流れ落ちます。最初の一時間からこんなアップダウンで今回のウォーキングはいったい大丈夫なのでしょうか。しかし、景観は最高です。旧東海道は細々と茶畑の中を突き進み(写真左)、ほとんど人の気配もせず、峠の頂上辺りに差しかかりました。右手を見ると真言宗の名刹久遠寺(写真右)。ここには伝説の「夜泣き石」があります。
かつてここ小夜の中山峠で、一人の女性が山賊に襲われ命を落としました。しかし身ごもっていた子供だけは何とか助かり、お寺の住職によって育てられました。子供を奪われたと勘違いした女は寺のそばにあった石に乗り移り毎晩泣き明かしたということ。後に住職によって成仏させられたということですが、やはり子を思う母の思いは本当に強いのですね。道端には夜泣き石の跡もありましたが、残念ながら夜ではなかったので泣き声は聞こえませんでした。でも夜に来たら本当に泣き声が聞こえてきそうな、そんなロケーションにありました。
ほんの少しの沓掛集落を過ぎると今度は急な下り坂です。しかしこの急坂、本当にあり得ない。たった数百mの下り坂ですが、膝にきました。下り坂で立ち止まらなくてはならないほどの膝の痛みは初めてです。本当にヤバイ。時折膝をトントンとたたきながら峠を下りきりました。おそらく旧東海道の中でここがもっとも急勾配なのではないかと思います。沓掛(くつかけ)という集落の名前も「ここで古い靴を履き替え、安全を祈って古い靴を木に掛けたから」だそうです。
坂を下りきるとすぐに日坂宿。「にっさか」という発音、いかにも旧東海道っぽくて好きです。小夜の中山峠の西側の坂「西坂」がなまってできた宿場名だとか。現在は幼稚園になっている旧本陣(写真左)、復元された高札場(写真右)の他にも、並んでいる家々すべてが往時を思い起こすのに十分なたたずまいで、江戸時代から持ち主が変わっていないからか現在も屋号が掛けられています。
掛川宿まではまだ8qあまり。間には特に見所があるわけではなく、ひたすら歩を進めるのみ。しかし峠を越えてきた身にとっては、この平坦な2時間はクールダウンさせるのにいい距離です。掛川宿に入ると城下町らしくまずは「七曲がり」が出迎えてくれます。普段のウォーキングではこういった「曲がり」に沿って歩くことはしないのですが、掛川宿には案内板も細かく示されているので今回は七曲がりに沿って歩いてみました。歩いてみると意外に短かったです。でも軍事防衛上はこういった曲がり角は重要なんでしょうね。
掛川城下に入るとすでに昼近く。山内一豊が作り上げた掛川城の復元が街道筋からもきれいに見えます。掛川城は夜のライトアップが美しいそうなのですが、今回は快晴の陽のもとでの眺め。アーケード越しに見上げるお城は、それでも殿の威光を示すに充分な姿でした。
しばし山内一豊と千代に思いを馳せながら掛川宿を出ると、倉真(くらみ)川を渡り、天竜浜名湖鉄道の西掛川駅へ。天竜浜名湖鉄道を見るとだいぶ地元へ戻ってきたという実感がわいてきます。ここで今回のウォーキングで初めてドリンクを口にしました。朝に少し汗をかいたためか晩秋だというのに喉がかわいてきていていつものようにペットボトルを買ったのですが、さすがにこの時期には一本全部は飲み切れませんでした。
掛川バイパスをくぐると急に田園風景が広がり、そこは間の宿原川へと続く松並木。ここも非常にきれいな松並木が残っているなぁと思って歩いていたのですが、これでも松食い虫によってかなり食いつぶされたとのこと。右手後方をふと振り返ると、はるかかなたに富士山が相変わらず見つめていてくれました。
いったん国道1号線バイパスに出て原野谷川を渡るとここから袋井市。軽食をとってさらに続く松並木を進んでいくと間もなく袋井宿の東木戸に到着。袋井宿は江戸から数えても京から数えても二十七番目の宿場で、東海道五十三次のど真ん中の宿場。数年前から袋井市も「どまんなか宿場」として売り出しているようで、宿場のあちこちに「ど真ん中」の語が目に付きます(写真左)。宿場の入り口に「ど真ん中茶屋」があり(写真右)、年中無休で日の出から日没まで旅人を迎えてくれます。今回もちょっとばかり足を踏み入れ、お茶を出してもらって10分ほど談笑しました。
本当はもっともっとお話ししていたかったのですが、今日のウォーキングはまだまだ先が長い。予定の浜松到着は午後8時近いはずですから、後ろ髪を引かれる思いで旅立ちました。また今度車で距離測定をしに来るときに立ち寄らせてもらいます。
蟹田川、太田川と渡って、国道1号バイパスと別れると袋井市を出て磐田市へ。ちょっと小高い丘へ登って磐田市を見下ろしながら、道は見附宿へ向かっていきます。そろそろ日も暮れ始めてきました。見附宿は京から江戸へ向かうときに初めて富士山を見付けられる宿場ということからついた宿場名です。街道はかなりしっかりと整備されていますが、残念ながら僕はここから富士山は見えませんでした。
道は突き当たりを左へ折れます。まっすぐに進む道は一方通行の小径になっており、これは浜名湖の北岸を通る姫街道の入り口です。姫街道は東海道唯一の脇往還。ここから僕の地元の御油宿まで、男女が別れ別れになって約60qの旅をしたはずです。中には途中で大事があり二度と会えなかったカップルもあったでしょう。数々の今生の別れがあった場所にたたずむと、何とも言えないしんみりとした気分になります。人生と同じですね…。目印の「これより姫街道 三州御油宿まで」の道標が静かに立っていました。
姫街道を横目に見ながら、旧東海道は磐田駅へ向かいます。時刻はすでに4時30分近く。辺りは薄暗くなってきました。しかし磐田駅は一度ゴール地点にしていますから、今回は磐田駅で止まることは出来ません。駅の直前で右に折れ、東海道を次の宿場である浜松に向かいます。見附〜浜松は約16q。4時間くらいかかるはずなので少しでも先を急ぎたいところです。日はどんどん沈み、まさに「秋の日はつるべ落とし」を実感します。清少納言さんの「秋は夕暮れ」をかみしめている余裕はありませんでした。でも暗闇に消えていく松並木は「またあはれなり」でした。
完全に真っ暗になってからいよいよ今回最後の大河、天竜川を渡ります。かつてこの天竜川橋はバイパスの方の橋はもちろん、旧東海道の方の橋にも歩道が付いておらず、非常に危険な思いをして歩くしかありませんでした。今回はもう真っ暗だし大丈夫かなぁ…と思いながら天竜川に近付いていたのですが、いつの間にかバイパス側の橋に広い広い歩道が設置されていました。おかげでオレンジ色のライトに照らされながら夜の天竜川をゆったりと味わうことが出来ました(下の写真)。静岡県(!?)もたまには税金をいいことに使いましたね。ここからいよいよ浜松市です。暗くて看板も見にくいです…。
浜松市に入ってもまだまだ浜松駅まではかなりあります。久しぶりの暗闇ウォーク。たまにはいいものですね。一里塚をさらに2つ越えて、午後8時。ようやく浜松駅に到着しました。朝7時30分に金谷駅を出発しましたから、食事の時間を含めてですけど12時間以上も歩いていたのですね…。正気の沙汰とは思えませんが(自分でもそう思います)、最初の小夜の中山のアップダウンでかなり体力を消耗した割には元気で歩き通すことが出来ました!! 夜の闇の中で浜松駅がきれいに輝いて浮き上がっていました。
次回はさらに西進し、新居関所を越えて三河の国に入る予定です。