第135回 豊橋(愛知県豊橋市)→知立(愛知県知立市)

平成25年1月11日 快晴 45.1q 11時間30分

初めての「故郷通過」

 東海道の旅も今回が一番地元に近付きます。実はこの徒歩旅は地元に近いほど歩きにくくなります。道は知った道になるので迷うことはありませんが、気持ち的に距離感がつかみにくくなるのです。普段自動車で走る道ですから、まだあまり歩いてはいないのにもう結構たくさん歩いてしまったような感覚に陥ってしまいます。しかも今回は地元の御油に「到着」ではなく「通過」しますからなおさらです。

 始発で豊橋駅に降り立つとまさに極寒! 朝6時10分という暗闇の中、豊川(とよがわ)にかかる旧東海道の今橋、現在の豊橋(とよばし)に向かって歩き始めました。歩くといろんな物が見えますね。橋の上からはちょうど明るくなり始めた東の山々の稜線がキレイに浮かび(写真右)、まさに枕草子の「やうやう白くなりゆく山ぎは」。しかし今は春ではなく極寒の冬です。

          

 豊川沿いに旧東海道をたどり始めると下地の一里塚。今回のコースは一里塚があちこちに残っていたり復元されたりしているので、ウォーキングする人間にとっては非常に助かります。一里というのは普通に歩くと「1時間」ですからね。ペースもしっかりつかめます。

 豊川放水路に差しかかる直前に豊橋の魚市場があります。ちょうど時間的にはセリが終わって、魚屋さんが帰り支度をしている頃。車も行き交っていて、活気はあるんですけど、歩いているとちょっと危険…。さらにさらにこの豊川放水路にかかっている旧東海道の橋は歩道がない! 車に迷惑をかけながら何とか無事に渡ることができました。ここから豊川市。いよいよ地元に戻ってきました!

          

 時間的に7時を過ぎ、小坂井高校に通う高校生達とたくさん出会い始めました。この後さらに国府高校に通う高校生達とも出会うのですが、やはり地元歩きはいろんな意味で歩きにくいですね。塾生達に歩いている姿なんて見られたくないですし…。今まで100回以上も歩いているけれども、こういった経験をできる回は少ないです。

 国府を通り過ぎていよいよ御油宿へ。今までのウォーキングの中で自分の地元である御油を「通過」するのは初めてのことです。磐田宿で分岐した(第133回の旅参照)姫街道と合流する追分の交差点を過ぎ、小学生時代に見慣れた松並木も、今日は一旅人として眺めます。最近この松並木を歩いたことはなかったのですが、風が吹くと「ミシミシ」「キィキィ」ときしんでいる音が痛々しいです。そういえば松の老朽化が進んでいると聞きましたが、確かに強風時には危険なのかも知れません。この松並木を過ぎて、芭蕉の句碑がある関川神社を越えた辺りが、歩き始めからの3150qポイントとなりました。

       

 さて今回はまだ旅の途中ですが、とりあえずここでいったん地元に戻ってきました。第91回から始まった「日本海を見て江戸へ向かう旅」の続きとして、中部地方を一周して地元へ戻ってきたことになります。約9年、ウォーキング回数45回かけて回ってきました。「愛知→岐阜→富山→新潟→長野→群馬→栃木→茨城→千葉→埼玉→東京→神奈川→静岡→愛知」という時計回りの経路で13都県を踏みしめてきましたが、事故にも遭わず無事に戻って来られたことを道祖神に感謝したいと思います。

 そんな感慨に浸りながらも今は「東海道の旅」の途上。今日のウォーキングも地元を越えてまだまだ先は長いです。いったん近付いてきて到着した故郷をすぐに後にしなければならないのはやはり寂しいものです。気分的に「地元は歩きにくい」というのにはそういう意味もあります。

 赤坂宿を越えると東海道は急に山が迫って寂しげになり、長沢の一里塚。ここ長沢は「東三河」と「西三河」との境という説があります。僕にとっては東も西もなく、「尾張」に対抗する「三河」という存在が大切です。「愛知県=尾張」という全国的な考え方を早く何とかしたいです。はっきり言って同じ愛知県でも尾張地方は「別の県」ですからね、僕のイメージ的には。

 本宿の一里塚、藤川の一里塚とそれぞれ1時間で順調に通過し、藤川宿の西の端で「吉良道」との分岐に立ちます。前回ここを通過した第91回の旅ではここから進路を左にとり、東海道から外れて吉良方面へ進みました。よってここから先は初めてのウォーキングになります(とはいうものの約14年前の第16回の旅で逆方向には歩いたことがあります)。

 美合を過ぎて乙川に差しかかるとそこはゲンジボタルの生息地として知られる川辺です。その名も「ほたる橋」。もちろんこんな冬に、しかも真っ昼間にホタルなんて一匹もいません。その代わりに川辺には馬がノソノソと草を食べていました。国道一号線が通っていてもまだまだこの辺りは素敵な自然風景が残っていますね。

          

 大岡越前が藩主を務めたこともある大平を通り過ぎるといよいよ街道は岡崎城下に入ります。国道一号線から離れて、有名な岡崎城下二十七曲がりが始まると。その名の通り現在の舗装された網の目道路をクネクネクネクネと曲がり続けます。地図はもちろん持参していったのですが、正直なところ完璧に旧東海道をたどる自信はありませんでした。きっとどこかで曲がり忘れるだろうなぁ…と。しかしここ岡崎城下は曲がり角ごとに見やすい道しるべが立ててあって、現代の旅人のために整備されているなぁと感じました。岡崎市は税金をしっかりしたことに投入していますね。「次の○○交差点まで△△m直進」と書いてあるので、迷わずに二十七曲がりを抜け出すことができました。

          

 矢作川にかかる矢作橋を渡ると岡崎城下の騒がしさも一段落つきます。この矢作橋も現在は掛け替えが進んで(というより掛け替え終わって古い橋を壊して)いて、これが第十六代目の矢作橋だそうです。初代は1601年、江戸幕府が開かれる2年前に掛けられました。みだりに架橋が禁じられていた江戸時代には、この矢作橋が東海道筋では最長の橋だったと言われています。今は非常に現代的な大橋。歩道もとても広くなっていてとても歩きやすい。

 しばらくは国道1号線と併走して進んでいくと間もなく岡崎市から安城市へ。ここでまた旧東海道は国道一号線から離れます。時間は午後4時前。知立までの距離はあと8qくらい。どうやら今回もまた暗闇ウォーキングになってしまいそうです…。

 この8qは一里塚、松並木など今も往時の雰囲気をしっかりとどめていますが、残念ながら歩道がない区間がたくさん残っています。国道一号線と離れているとはいっても結構交通量の多い県道ですから、安城市には何とかしてもらいたいものです。明治用水神社や猿渡橋、来迎寺(らいごうじ)一里塚など、歩いて見られる史跡もたくさんあります。ちょっと北へ足をのばせば、伊勢物語に登場する在原業平の八橋かきつばた公園。歴史・文学好きな青年(!?)としては本当にそそられます。

 日も落ちきって暗くなった頃、知立宿へ到着。三河線の三河知立駅を過ぎて商店街を歩くと、大あんまきで有名な知立の駅が登場します。このところ歩く距離が長いこともあって暗闇ウォーキングが当たり前のようになってしまっていますが、明るい町ならばそれはそれで一興ですね。名物大あんまきを土産に買って、帰途につきました。

          

 次回は三河から尾張へ入る予定です。


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