第136回 知立(愛知県知立市)→弥富(愛知県弥富市)

平成25年2月8日 曇り一時雪 36.6q 9時間30分

時を越えて鳴る「時の鐘」

 極寒の2月。2月のウォーキングは今回で通算10回目ですが、大雪の中を歩いたり(第7回)、比叡山からの「おろし」を浴びたり(第69回)、寒くて色々なことが起きました。…が、今回は今までとは訳が違う。初めて寒さにより「身の危険」を感じました…。

          

 始発で地元の御油駅を本当に久しぶりに「下り列車」で出発し、知立到着が6時30分。当時からは約1ヶ月半経っているのでこの時間帯でも真っ暗ではなくなっていました、しかし寒さはハンパない。フードをしっかりかぶって歩き始めると曇り空からはチラチラと雪が。「降る」というより風が強いから「舞う」という感じ。旧東海道は風情があるだけに、よけいに曇り空と小雪が心の中にまでしみいります。下の写真はあまり雪は見えませんが、でも小さな雪はかなり舞ってます。

          

 約1時間ほど歩いたところで旧東海道は国道1号線に合流。まだ朝食をとっていなかったし、こんな寒い日はしっかり食べておかないと体力ももたないので、すき屋で朝食をお腹に詰め込んでいよいよ三河地方から尾張地方への境界に近付いてきました。駿河から三河への境界も境川という小さな川でしたが、三河から尾張の境界もやはり境川。国道1号線からは1本それた小径ですが、新しい重厚な橋が橋がかかっていました(下の写真左)。これで三河地方ともお別れ。

          

 豊明市に入ると再び街道は国道1号線から分岐して、ここに国指定の重要文化財である阿野一里塚(上の写真右)。しっかりとした塚が道の両側にしっかりと残っており往時を偲ばせてくれるのですが、国道1号線からあまり離れていないのと、今では住宅街のど真ん中になってしまっているので雰囲気が静かでないのが少し残念でした。

 中京競馬場を過ぎても、今日の最初の宿場である鳴海宿はまだまだ先です。しかしここには間の宿、絞りで有名な有松の街並みが保存されています。ゾクゾクするような歴史を感じる塀が続き、一部道路工事中で残念でしたが、ここはまた日を改めて散策に来る価値がありそうです。

          

 さらに30分ほど歩くと左手に鳴海駅が見えてきて街道は鳴海宿へ入ります。有松とは違ってこちらはあまり往時の面影が残っておらず(道は細かったですが)、アッという間に通り抜けてしまいました。しかし…

 この辺りで時刻は10時を過ぎていましたが、今日はまったく気温が上がらない。雪こそ止んでいるものの、風は冷たいし手は感覚がなくなって動きにくくなるし、コートを着ていても体の中まで感覚がなくなってきました。ちょうど正座をしていると感覚がなくなってくる、あの感じ。それが上半身から下半身から、体全体に広がって…。やばいなぁ、このままいくと凍傷かな。

 とりあえず交差点のコンビニに入り、暖をとりました。20分ほど店内にいるとようやく温まってきた気がしましたが、しかし今度は体がジンジンとしてきました。これもちょうどしびれがきれた足に血液が流れ始めた時の、あの感じ。おかげでまだしばらく体が思うように動かない。

 30分経過してようやく普通になり始め、この先の計画を頭の中で考え始めました。今回の目的地である長島まで行くにはあと5時間ほどかかります。まだ残る行程は倍以上。寒さに体が耐えられるだろうか。しかし、ここから時間的には一日の中でもっとも気温が上がる時間帯。何とかなるさ、と自分に言い聞かせて、歩を進めることにしました。

 笠寺観音を過ぎると呼続を越えて、ここで再び国道1号線と合流。この合流する交差点の直前がスタートからの3200qポストとなりました。いつの間にか名古屋市中心部特有の広い道路になっており、JRの踏切を越えるとかつての宮宿にさしかかります。陸路の旧東海道とはここでいったんお別れ。桑名までは七里の渡しで海路となります。その渡し口の跡(下の写真左)が大瀬子公園に残っており、しばしここで舟を待っていましたが、強風のため今日は舟は出ませんでした(もちろん実際は渡し舟は廃止されています)。ちなみにここには舟の出発を告げる「時の鐘」も残っており(下の写真右)、渡し口跡とあわせて素敵な史跡となっています。

        

 話は少しそれますが、ここはかつて僕が大学生時代、アルバイト先に通勤していたバスの通り道でした。当時はもちろんこのような史跡にはまったく興味はなく、ただただ「ここは何かな」と思って眺めていただけでしたが、あらためて歩いてこうやって来てみると、ここが東海道でももっとも賑わった場所の一つなんだなということを実感できます。そんな場所に今僕一人が佇んでいることが、何だか感動します。

 日本橋からここまでずっと旧東海道を目印に歩いてきましたが、ここから桑名の渡し口まではしばし気ままなフラフラ旅になります。コースもどのように進もうか、いろいろ考えてみましたが、せっかく「東海道」をたどっているのだから、ということで風情は期待できないものの国道1号線に沿って西進することにしました。

 旧東海道はせっかくここまで陸路を進んできたのに、どうしてこの区間だけ渡し舟になるんだろう、と長い間疑問に思っていました。しかし実際に国道1号線で宮以南を歩いてみるとその理由が分かるような気がします。とにかく大きな川が多い。今回はまだ渡らない木曽川や長良川・揖斐川はもちろんとして、庄内川、日光川、善太川など水量も川幅もまずまずな河川が次々と横切っていきます。国道1号線は橋で軽く渡っていきますが、架橋がされていなかった江戸時代は、確かに渡し舟で一気に桑名まで渡ってしまった方が合理的だな、と納得しました。

 あまりに寒すぎて、昼食は通りにあったお店でカレーを食べました。実は僕はカレーが少し苦手なのですが(においは大好きなのですが、辛い物が苦手なのです)、それでもカレーが食べたくなるくらいのそんな寒さでした。

 名古屋市の中川区、港区あたりは名古屋市内とは言っても結構空が広い地域です。濃尾平野の真ん中で、養老山脈も視界に入り、この当たりの名古屋市の風景は大好きです。名古屋市を出て蟹江町、愛西市、弥富市も同じです。個人的にはこの地域にあまりいい思い出はないのですが、土地の景観としては素敵です。

 弥富市は金魚の養殖で全国的に有名です。国道端にも金魚の養殖施設が並んでおり、中には見学できる所もありました。残念ながら金魚の姿は見えませんが、鯉ではなくて金魚が養殖されているのってやはり珍しいですよね。

          

 弥富市に入る頃から、再び雪が舞い始めました。この地域は、風が強い日には養老山脈や伊吹山の雪が飛ばされてくるので、もしかするとそれかも知れません。だんだん日も傾いてくるし、ちょっと長島まで到達するのは厳しいかなぁ…。今回は弥富までにしておこう。というわけで近鉄弥富駅を今回の到着地としました。

 弥富駅は近鉄の弥富駅と、そこから100mほど離れたJR・名鉄の弥富駅の2つがあります。JR・名鉄は改札を出ずに乗り換えができますが、近鉄はいったん改札を出なくてはなりません。でももちろん徒歩連絡可能です。JR・名鉄・近鉄の3社すべてが徒歩で乗り換えられるのは名古屋駅の他にはこの弥富駅しかありません。

 さらに弥富駅は、全国の地上駅(海底駅や地下鉄駅を除く一般駅)の中でもっとも標高が低い駅としても有名です。海抜の高さはマイナスです。JR・名鉄の弥富駅と近鉄の弥富駅を比べると(目視です)近鉄の方がやや低いような気がするので、僕の中では近鉄弥富駅がもっとも低い駅として認定します。

          


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