第138回 井田川(三重県亀山市)→水口(滋賀県甲賀市)
平成25年5月1日 晴れ一時雨 39.3q 10時間0分
坂は照る照る、峠は曇る、あいの土山本当に雨が降った!!
今日から5月。官公庁ではクールビズがスタートするらしい、ゴールデンウィークの真っ只中。半袖でもいいかなぁと思っていましたが、一応長袖のポロシャツを持ってきました。これが今回は大正解! むしろ朝晩はコートがあってもいいくらいの「季節はずれの極寒」の一日でした。
出発は午前5時20分。お隣の亀山駅発の始発列車に乗って井田川駅に下り立つと、すでに近所のおじさん・おばさんたちの何人かが犬を連れてウロウロしていました。そんな方々と一緒に歩き始めて、約30分。東海道は亀山宿へ向かう小さな坂道に差しかかりました。5月とは思えないひんやりした朝の空気が体内に入り、歩きも快調。
亀山宿はきれいに商店街が並ぶかつての城下町宿場。現在も多くの商店が軒を並べ、立ち寄りたいようなしぶいお店もいっぱいあります。が、残念ながら朝の6時という時刻ではどこのお店もまだ開いておらず、昼間のにぎわいを想像しながらとぼとぼと歩いて通り過ぎました。この時間帯だとまだ通勤通学のにぎやかさもないんですよね。まぁそれはそれで静かでいいですが…。
関宿に向かってさらに歩を進めるとすぐに右手に野村の一里塚。三重県内では唯一現存する一里塚です。車が停まっていてどうしても写真に入り込んでしまったのが残念でした。路駐しているという感じだったのですが、こういう史跡の前に路駐するのはやめましょう。っていうか路駐はどこにしたってダメなんですけどね。
町はずれの坂道を下りていくとそこは第12回の旅で登ってきた記念すべき200qポスト。14年経った今、再びこの坂道を逆向きに歩く事になるとは思ってもいませんでした。時は流れているのに、この坂道はまったく変わっていません。少しアングルが違うみたいですが、第12回の旅日記の写真と比べてみて下さい。ちなみに今回はこの坂を下ってきたわけなので、この写真はもちろん振り返って撮ったものになります。
その14年前の旅とは逆のルートをさらに忠実にたどり、ここからは大岡畷(たいこうなわて)という川沿いに出ます。左手には清流、眼前にはこれから越える鈴鹿峠が立ちはだかっています。山から吹き下ろす強風が今日はいつもより冷たく感じられますが、この畷道は本当に気持ちがいい散歩道です。写真でも遠く鈴鹿峠が望めるのが分かると思います。が、それよりも手前に写る樹木が風に揺れる様子でこの日の強風が推測して下さい。
右手をJR関西本線が走っています。関西本線はここから急勾配の鈴鹿峠を避けて西へまわっていきます。その列車が敬遠した鈴鹿峠をこれから僕は越え、向こう側で再びJRと出会うことになります(ただし関西本線ではありません)。ちょうど2両のディーゼル車両が走っていくのが見えました。
再び国道1号線と合流するとすぐに旧東海道は関宿へ入っていきます。この宿場の街並みは旅好きの僕にとっては本当にゾクゾクするものです。自分の影が朝日に伸びる下の写真は、ここ関の長い街並みを余すところなく写し出していると思います。祭りの時には大きな山車がこの通りを練り歩きます。その山車がとても立派なので「それ以上はない」という意味で使われる「関の山」という慣用句。実はその山車が民家の屋根ギリギリを通るから「これ以上は高く持ち上げられない」という意味で出来上がったという説もあります。いずれにしてもこの関の街並みに由来する慣用句であることは間違いありません。
ちょうどここで登校時間と重なり、この風情のある道を小学生がたくさん歩いていきます。口々に「おはようございます」と挨拶してくれるので、晴れて涼しい気持ちのいい朝が、余計に快適になりました。そういえば今日は平日でしたね…。ちょっと世間ずれしていました。僕にとっては非日常を感じるこのような街にも、日常を送っている人たちが住んでいる。旅で感動を味わうと、このような当たり前の感覚が欠如してしまいます…。
関の街並みを抜けると西の追分。この交差点からは旧国道25号線(現在の名阪国道の旧道)が分岐します。そう言えば関宿の真ん中に「伊賀・大和道」と書かれた追分道標もありました。ここ関宿は今も昔も東海道と大和道との別れ道としての機能を果たしているのです。
いつの間にかあんなに遠くに見えていた鈴鹿峠が眼前にそびえ立ち、見上げると目眩がするほどのものすごい圧迫感を感じます。東海道は急に寂しくなり、さっきまで関宿で聞こえていた子供達の甲高い声がうそのよう。じきに国道1号線とも分かれて沓掛の集落に入っていくともう本当に時間が止まってしまったかのような気がします。
道端で草刈りをしていたおばあちゃんに一応「国道1号線から離れて、東海道はこちらでいいですか?」と聞いてみたところ「そうだよ。昭和25年まではここが国道1号線だったけどねぇ」という返事が返ってきました。そうだよ、バイパスができるまではこの道がメインルートだったんだよなぁ。あまりの美しさに絵師が筆を捨てたという筆捨山を正面に望む、旧東海道のこの小径(下の写真)が国道1号線だったとは…。かつては上り下りの旅人がここでたくさん行き交っていたと思うと、何だか切なくなります。筆捨山だけがその往時を知っている…のかと思いきや、さっきのおばあちゃんも知っているのですよね。すごいものだ。
そんな小径にぽっかりと顔を出す鈴鹿馬子唄会館、山の中にしてはとてもきれいな建物で、今度距離測定に来たときには必ず立ち寄らせてもらいます。その先、三重県(伊勢国)最後の宿場となる坂下宿。現在はほんの数件の民家が残るだけとなりましたが、ちょうど一日数本しかないバスが来ていて、バス停では2人の老婦人が乗り込むところでした。この伊勢坂下バス停が亀山からくるバス路線の終点。ここから先の鈴鹿峠は現在はバス路線はありません。もう自分の足しか頼れない…。
本当の旧東海道は、ここから峠まで車の通れない山道を入っていくのですが、マイルール「車が通れない道は歩かない」に従って僕は国道1号線バイパスの歩道へまわります。トラックが轟音で走り去っていき、やっぱりさっきまでの坂下宿はよかったなぁ、と感傷にひたっていました。
ところで、歩くといろんな物に気付きますね。この鈴鹿峠へ向かう国道1号線バイパスは上下線が少し離れた所を走っているのですが、歩道の関係上で僕は自動車が下ってくる方を、車とは逆向きに登って行きます。ふと上を見上げると逆走を警告する「危険!」と書かれた標識(下の写真)が目に入りました。そうか。逆走側には危険防止のためにこんな看板が付けられているのですね。普段はほとんど目にしませんが(というか目にしているとしたらそれはかなり危ない瞬間です)、このような看板は高速道路とかにも付けられているのでしょうか!? だとしたら逆走して事故を起こす人ってどのような理由で気付かないのでしょう。それにしても「逆走しています」って優しい現在進行形で書かれていると、何だかあまり切迫感がないような気がしませんか!?
涼しい気候でもやはり上り坂が続くとうっすらと汗ばんできます。登ってきた峠を振り返ると5月らしい新緑(写真左)。そして眼前には鈴鹿トンネルが口を開け、もうじき三重県とお別れとなります(写真右)。
やはり県境を越えると空気が変わります。馬子唄のとおり、坂下では晴れていたのに、峠ではいつの間にか雲が広がって空は灰色になっており、緩やかな下り坂が始まりました。14年前に反対側から歩いたときにはあまり意識しませんでしたが、この峠も片側峠(一方からは急坂なのにもう一方はあまり坂になっていない峠)だったのですね。そう言えば滋賀県側からはあまり坂を上った記憶がありません。つまり今、三重県の関宿よりも相当標高の高いところを歩いているのでしょう。
江戸からここまでやって来て、東海道の三大難所峠(箱根・小夜の中山・鈴鹿)をすべて越えてきたわけですが、これでもう京都まで大きな難所はありません。逢坂山のちょっとした坂道が残っているだけです。この3つをそれぞれ越えるのに要した時間を比較すると、箱根8時間、小夜の中山2時間、鈴鹿2時間。というわけでやはり箱根峠だけは全然別格なのですね。すべてを体験してみて初めてその違いが分かりました。ただ小夜の中山も鈴鹿ももちろんそれぞれ違った「良さ(風情)」はありますよ。
さて伊勢国から近江国に入り、再びバス停が目に入ってきました。名称は「あいくるバス」。「あいの土山」にちなみ、そして「あいくるしい」と掛けられているようです。山と水田がとても目を楽しませてくれる街道で、ウグイスの「ホケキョ」とカエルの「ゲロゲロ」が僕を迎えてくれます。そのような緩い下り坂が小一時間。坂上田村麻呂が祀られている田村神社まで来るとようやく峠のにおいは消え、土山宿に近付いていることが分かりました。
14年前と同じく、ここの道の駅「あいの土山」でトイレを借り、お茶のサービスで喉を濡らしました。14年前の第11回の旅では逆向きに進んでいましたから、ここで腹ごしらえをして峠越えに向かいましたが、今回は逆にこれから土山宿に入っていくので食事は取らず、再び国道と別れて旧道に入っていきました。
土山宿のちょうど中間当たりに鴨南蛮そばで有名な「うかい屋」さんがあります。不定休なので心配していましたが、この日はちゃんと営業中でした。さっそくレトロな店内に入って、鴨南蛮そばを注文。寒い日なので、温かいそばが余計に身にしみました。
お店のおかみがいろいろと話をしてくれ(店内に芳名帳があるのですが、そこに僕の出身を「御油」と書いたら、おかみの母の出身も御油らしいということで話が弾んだのです)、やはり今日は相当寒いということ、そして素敵な旧街道にも関わらず、高速道路の開通により観光などでふらっと立ち寄る人は少なく、いつもこのような静かな街並みが保たれているとのことでした。そうそう、14年前に通ったときはまだ高速道路は開通しておらず、まだ建設途中の高架の橋脚だけが佇んでいたような記憶がありますね。
鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る、峠(鈴鹿)は曇る、あいの土山雨が降る」という有名な一節があります。それほど峠を境に天気が変わりやすいということなのですが、それにしても土山の雨の降りやすさは有名みたいです。広重画の土山宿も当然のように雨(写真左)。そして今回の僕の旅も、土山宿の途中くらいから冷たい雨が落ちてきました。太陽が降り注いでいるのにも関わらず…です(写真右)。
国道1号線と何度も交差しながら、東海道は長い長い土山の街を進みます。右手には山と水田が広がり、相変わらずカエルのゲロゲロは聞こえ続けます。ウグイスはいつの間にかいなくなってしまっていましたが…。黒い雲はずっとかかっていますが、この気持ちいい原風景が、僕のウォーキングが気晴らしになっている大きな一つの理由なんでしょうね。
そして街道は同じ甲賀市の水口へ。雨も断続的に降ったり止んだりですが、まぁ帽子をかぶれば大丈夫なくらいの雨だったので助かりました。水口に入っても道は民家の間をクネクネと走っていきますが、水口は国道1号線バイパスが離れたところを通っているので、土山宿よりもさらにとても静かです。水口の宿場に入ると街道は3筋に分かれ、再び3筋が合流する地点がスタートからの3300qポスト。そしてすぐに近江鉄道の水口石橋駅に到着。小さな駅ではありますが、平日なので下校途中の高校生がたくさん乗降していました。
京都まで50qほどを残して、今回はここ水口を終着としました。水口宿は東海道53次の中で(江戸側から)50番目の宿場。いよいよ京都の三条大橋を除いてあと3宿(石部宿・草津宿・大津宿)を残すのみです。順調にいけばあと2回のウォーキングで到着するはず。いよいよ京都が見えてきました。