第139回 水口(滋賀県甲賀市)→草津(滋賀県草津市)

平成25年5月17日 晴れ 22.7q 5時間30分

頭上に川がいっぱい!

 さぁ京都まであと少し。今回の出発地である水口宿は東海道の(江戸から数えて)50番目の宿場。何となく琵琶湖のにおいもし始めたような気がして、いつの間にか行き交う人々も関西弁になっていました。前回鈴鹿峠を越えてしまったので、もう大きな難所もありません。気分も軽やかに西へ歩を進め始めました。

 静かな街並みと田園風景をくり返した後、約1時間で野洲川にぶつかります。かつてはここに横田の渡しがありました。現在は…やっぱりもう渡しはありませんでした。それどころか渡し跡は立派に残っているのに(下の写真)、対岸に渡る橋すら架かっていない!! 結局ちょっと回り道をして国道の横田橋まで足を伸ばすことになりました。

                

 この橋はこの近辺では唯一の橋らしく、出勤・通学の人たちであふれかえっていました。すぐ近くにはJRの三雲駅があり、ここから再び旧東海道に戻ることができます。ところでさっき通った横田橋もJR三雲駅も利用者はかなりいるようなので、ぜひとも渡し跡の近くに歩行者用の橋を架けてほしいと思います。

 水口から石部に向かう旧東海道は、この後さらに草津宿に至るまで国道1号線と一度も合流せず、その意味では歩きやすいはずでした。しかし、この日は結構交通量がすごい。こうなると国道1号線よりも幅がせまい分だけ余計に危険です。僕の歩いていた時間帯が通勤時間帯だったからというだけかも知れません。でも、それなりのスピードでぶっ飛ばしてくる車も多いし、僕以外にも小学生・中学生・高校生たちが徒歩や自転車で往来しているので、この地域の方々はもうちょっと考えてあげてほしいです。並行して国道1号線が走っているのですから(片側1車線ですけど)、車はそちらへまわって下さい。風情のある旧東海道を守りましょう!!

 石部宿まではあまり変わりばえのしない道を約2時間。ひたすら西へ向かっていくことになります。途中までは朝の涼しさも残っていましたが、やはりそこは5月も中旬。平坦な道を進むだけでもだんだんと暑くなってきました。

 この区間の見所は何と言っても「天井川」。道よりも高いところを川が流れています。輪中で有名な濃尾平野が洪水被害に怯えているとは言っても、この地域ほどではありませんよね、きっと。もちろん水量の違いはあるかと思いますが、自分の頭上を川が流れているなんて、大雨が降ったら怖くてたまらないですよね。下の写真、高架の上は道路や鉄道ではなく、れっきとした河川なんです!

          

 実際には普段はほとんど水量がない川らしいです。でも洪水が起きないわけではないらしく、しかもこの8qほどの区間だけで天井川が2本! 実は滋賀県は天井川が多い県としても有名らしく、今回のウォーキングだけでもまだまだ身長よりもはるかに高い堤防を何本か目にすることになります。

 「天井川」の正式な定義は「河床が地面よりも高くなっている川」だそうです。ふつう川ができる場合には、地面よりも低い所に水が集まりますから、天井川が自然に発生することはまずありません。このような天井川は氾濫を防ぐための堤防をつくることによってできてしまいます。堆積により川底が地面よりも高くなってしまっても堤防があることにより水の逃げ場がありませんから、地面よりも高い位置にそのまま川が存在し続けることになり、天井川ができあがってしまうわけです。当然氾濫した場合には水が引きにくいわけで、洪水を防ぐための堤防を作ることにより余計に水害の恐怖が増すという、何ともパラドックスな状態なのですね。

 左手に小高い山が、そして右手にJR草津線の線路が近付いてくると、ようやく石部宿に到着です。道端に小さな無人資料館があり(写真左)、お手洗いをお借りしながら木陰で少しだけ休ませてもらいました。宿場の西木戸にはちょっとした憩いの広場が作ってあり、江戸からの各宿場図が掲げてありました。石部は五十一番目の宿場。京都まではあと3区間です(写真右)。

        

 ここからはJR草津線と並行しながらのウォーキングが続きます。左手にはかつての金山跡が立ちはだかり、その奥には信楽高原がどっしりと横たわっています。右手には彼方に近江富士とも呼ばれる三上山(下の写真)。ここまで来ると旧東海道の交通量もかなり少なくなり、ようやくゆったりと、ウォーキングに集中することができるようになりました。

          

 ずっと寒い中のウォーキングが続いていたので、暑さのもとでのウォーキングは久しぶりです。相変わらず風情のある街並みは続いているのですが、太陽も高くなってきて、だいぶ体力も奪われてきました。JR草津線の手原駅を過ぎると、草津まではあと1駅。ここら辺りが地図上の東経136度になります。明石市を通る標準時子午線である135度まであと一歩。道端に統計136度の碑が立っており、ここを過ぎると数字上は135度台に突入することになります。

     

 ちなみに旧東海道を通る子午線としては、東経137度が鳴海宿付近、138度が掛川宿付近、139度が箱根宿付近にあります。せっかくですから、このような子午線も碑を立てておいてほしいなと思いますね。

 再び旧東海道の交通量が増え始め、喧噪が近付いてくると、草津宿のにおいがしてきます。ここで眼前には草津川。いや、正式には、目に飛び込んでくるのは草津川の「堤防」です。どうやらこの川も前述の天井川のようです。トンネルでくぐることはないようですが、下の写真にあるような高い高い堤防を見上げると、やはり何だか怖いですよね。体力に余裕があれば土手を上っていって見るところでしたが、今回はやめておきました。一路草津駅へ進みます。

             

 草津宿の名物と言えば、江戸時代から続く「うばが餅」。かつて近江国の郷代官であった六角義賢(ろっかくよしかた)に幼児を託されて育てた乳母にちなみ、乳房の形をしたこしあんの餅です。東海道の名物として、「東の安倍川餅」に対して「西のうばが餅」と言われ、安藤広重の東海道五十三次にも「名物立場」としてこの「うばがもち屋」が描かれています。現代は旧東海道ではなく国道1号線の方にお店が移ってしまっていますが、今回はここでうばが餅を土産に買い、草津駅へ到着しました。

     

 京都の三条大橋まではあと2区間。東海道の旅も終わりに近付いてきました。次回、いよいよ三条大橋まで到達したいと思います。


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