第144回 真倉(京都府舞鶴市)→宮津(京都府宮津市)

平成26年9月14日 晴れ一時雨 29.4q 7時間40分

まだふみも見ず、ゆくへも知らず

 9月といえばまだ残暑が厳しい季節。しかし朝晩の寒さはもう秋のもの。こういう季節のウォーキングは服装が難しいところです。始発の時間帯は半袖ではとてもじゃないけど我慢できない。でも昼は30℃近くなるはず。迷った末に結局半袖でホテルを出ました。駅ではホットコーヒー。少し温まりました。前回のゴールである真倉駅出発は朝5時50分。快速が通過してしまうほどの小駅なので付近には誰もいません。駅で降り立ったのも僕だけです。

          

 日本海に面する舞鶴市とは言ってもまだここは海のにおいもしない山深い場所。涼しい(というか冷たい)マイナスイオンが木々からたくさん降りかかってきます。真倉地区の次にやってくるのは十倉(とくら)地区。こちらはだいぶ市街地に近くなります。倉が多かった街なのでしょうか。文学青年としては「十倉」「真倉」と並んでいるとどうしても夢野久作さんのあの大作を思い浮かべてしまいます…(笑)。こちらの地名の発音は「トクラマグラ」ですけどね。

 1時間ほど歩くと舞鶴市の中心地の1つ、西舞鶴駅へ。今回宿泊したホテルの目の前を通過します。実は今回は歩き出して4qほどのこの場所にわざわざホテルをとりました。4月に右足の親指の爪をはがしてしまいしばらくこのウォーキングを自重していたので、今回は久しぶりのウォーキングになります。体力は大丈夫だと思うのですが、果たして足の指は本当に復活しているのだろうかと少し心配な部分があり、1時間ほど歩いてみて、もしダメそうならここで中止してホテルに戻ろうと思っていたのでした。自分なりになかなか万全を期した大人の計画だったなぁと感心しています。

 ホテルの前の交差点でいったん靴と靴下を脱いで足の爪の確認。大丈夫。特に問題なさそうです。あらためて歩き出しました。

 舞鶴港を横目に見ながら進路を西に変え、念仏峠を上っていきます(下の写真左)。たいした峠ではないのですが、ダラダラと緩い坂が続いていきます。上り坂も足の指が心配でしたが、途中のコンビニでトイレを借りた際に再び確認してもやっぱり大丈夫。北近畿タンゴ鉄道の四所(ししょ)駅を後にして、いよいよ何も気にせずの楽しいウォーキングに入りました。ここからしばらくは駅はありません。

       

 念仏峠からは脇道に入ります。峠まで来たはずだったのになぜかまだまだ上り坂が続く続く(上の写真右)。だんだんと暑くなり始めた大自然の中、トンボと蜂が道ばたをウロウロしています。日常生活から離れるとこのような昆虫にもなんだか風情を感じて優しくなれます。パッと視界が開けるとはるか向こうにはこれから渡る八雲橋が由良川にかかっています(下の写真)。

          

 由良川は水量が多いことで知られる川です。水源の1つは第142回の旅の中で紹介した胡麻の分水嶺です。和知・綾部・福知山・生野を蛇行しながら日本海に注ぎます。今年の夏に福知山や綾部で洪水を引き起こしたのもこの由良川です。下の左の写真が道路から撮ったものですが、水面がかなり道路近くまであることが分かると思います。

     

 さっきまで遠くに見えていた八雲橋へ到達(下の写真左)。この狭い橋は由良川のもっとも河口に近いところに架かっている道路橋です。ここより下流には北近畿タンゴ鉄道の鉄道橋が架かっているだけです。よって歩行者である僕が(もちろん車も)対岸へ渡るにはこの橋を渡らざるを得ません。橋の上から見下ろすとやっぱり水量がすごいです(写真右)。

        

 百人一首の第46番、曽根好忠がこの由良川について歌っています。「由良の門(と)を 渡る舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな」。水量が多すぎて船頭も舵取りができない(「たえ」というのは「横たえる」という意味です)、その舟のように私の恋も行方が分からない。という歌ですが、ここからも分かるようにこの由良川はとにかく水量が多くて荒れることで有名なのです(念のために書いておきますが「由良」というのは紀伊半島にもあります。この歌の「由良」がどちらを指しているのかはっきりした証拠はありませんが、好忠が丹後の国の役人だったことを考えるとほぼこちらの由良川で間違いないだろうと言われています)。それにしても1000年近く昔の人もこの川を眺めていたのだと思うと不思議な感慨に浸れます。

 橋を渡ると国道に合流。ここからは歩道が途切れ途切れです。トラックも多いので気を遣います。しかも! あんなに晴れていたのに急に風が強くなってきたかと思うと雨が降ってきました。帽子でしのげているうちはよかったのですが、結構本降りになってきた。

 左手にはどこかの採石工場があり、すぐそこに事務所のようなほったて小屋があります。軒先でしばしの雨宿りを…と思って敷地に駆けこむと突然「ウゥ〜ウゥ〜、これ以上進むと110番通報されます」というアナウンスが! セキュリティーの赤外線にひっかかってしまったようです。誰か守衛さんとかが出てくるのを待ってみましたが、休日だったのか誰も出てきませんでした。

 そんなわけで結局雨宿りは失敗に終わり、結構ぬれたまま歩を進めました。幸いにも10分ほどで再び晴天に戻り、もう行く手を阻む物は何もありません。道ばたの田園ではたくさんの人が稲刈りをしているという由緒正しき日本の秋の風景。

 ここ丹後地方は童話「安寿と厨子王」で有名な土地でもあります。2人はこの辺りに住んでいた山椒大夫に売られ、厨子王は脱走して都に向かいましたが、安寿姫の方はこの地で身投げをしました。さきほど歩いていた由良川右岸には安寿姫の墓もあり、この由良川左岸には2人の像も建っています。ちなみに今回は見られませんでしたが、山椒大夫の家もまだ残っているみたいです。

         

 ここで舞鶴市とはお別れ。いよいよ天橋立がある宮津市へ入ります。

          

 右の方から北近畿タンゴ鉄道の橋梁が近付いてくるとそこは丹後由良。海水浴場で有名ですが、由良の町並みも酒蔵が建ち並ぶとても趣のある街です(写真左)。丹後の地酒はなんと言っても大吟醸。さすがにウォーキングの最中に酒をガブガブするわけにもいかないので、通り道の酒屋さんに立ち寄り、大吟醸(の酒粕)アイスクリームを買いました(写真中央)。道ばたの酒樽の上に座って食べると、これが結構さっぱりしていて素晴らしい。今度自動車で来た時にまた食べたいなぁと思いましたが、これ食べたら車の運転はきっとダメですよね。残念です…。酒のにおいに誘われてなのか足下には白猫がやって来ました(写真右)。「♪白猫の丹後(タンゴ)」!?

     

 病み上がり(右足がね)なのでこの丹後由良でウォーキング終了にしようかとも思いましたが、まだ時刻は10時30分過ぎ。足もまったく何ともなさそうなので、さらに先へ進むことにしました。

 町並みを抜けるとそこには宮津湾。内海(うちうみ)とは言いながらも、まぎれもなく日本海です。第111回の旅の途中、新潟の直江津で別れて以来、6年半ぶりの日本海との(ウォーキングでの)再会。あの時は「これが日本海との今生の別れになるかも」なんてこの旅日記に書きましたが、意外にも早くまた日本海に巡り会えました。

       

 ここからウォーキングは苦難の道に入ります。海沿いのこの国道には歩道がない。道ばたには「歩行者に注意」という看板が設置されていますが、海の景色があまりにも素晴らしいので運転者たちはよそ見し放題。加えて岸壁を降りて岩場で釣りをしている人たちの車が道ばたに停められてもいるので、この4qの区間は果てしなく危険です。左手は頭上に緑の山、右手は眼下に青い海、という下の写真のような最高のコースなのだから、宮津市か京都府はいち早くサイクリングロードでも設置してください。危なくてゆったり歩けません!

     

 海沿いに次の集落が見え始めるとそこは栗田(くんだ)駅(下の写真の正面奥)。海のにおいがほどよく漂うとても閑静な素敵な駅です。僕のウォーキングはさらに先へ。あとひと山越えて宮津市街へ入るぞ。そうすれば天橋立が目に入る!

     

 宮津運動公園を脇に見て今回最後のトンネルです。車は下の国道を通っているから歩くのには安全なのですが、このトンネル静かすぎてちょっと怖いです。明かりは一応点いているんですけどね。トンネルを抜けると…そこには展望台があり、いよいよ天橋立が横たわっていました。が、写真に電線が入ってしまう…。展望台は本当にしっかりとキレイに展望できる場所に作ってください。

       

 今回の僕のウォーキングは天橋立まであと4qほどの所、宮津駅で終了となりました。ちなみに宮津駅の次の駅が天橋立駅です。百人一首60番に、あの有名な小式部内侍の歌があります。「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立」。「行く」と「生野(いくの)」が、そして「文」と「踏み」が掛詞になっているあまりに有名な歌ですが、今回の僕のウォーキングもギリギリのところで天橋立を「踏めず」に終わってしまいました。

          

 次回のウォーキングはおそらく冬。雪景色の天橋立を踏みしめてさらに西へ進んでいきます。縦に(というか斜めに)長い京都府からはまだまだ脱出できそうにありません。


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