第15回 藤前(愛知県名古屋市港区)→中京競馬場前(愛知県名古屋市緑区)

平成11年4月25日 晴れ 19.1q 4時間30分

市街地の合戦

 今回は豊田方面に向かって歩く予定だったので、車を名鉄三河線の若林駅に置き、電車とバスを乗り継いで藤前一丁目バス停までやって来ました。

 初夏の日差しの中歩き始めたこのコースの前半は、僕にとって非常に思い出深いコースです。大学2年生の途中からそこそこのチェーン店をもつ学習塾でアルバイトを始めていました。そこで最初に授業をしたのが、港区にある当知校でした。ここには近隣の当知中、港北中、宝神中から生徒が集まってきていて、当時まだ自動車の運転免許を持っていなかった僕は電車とバスを乗り継いで通勤していました(ちなみに社会を教えていました)。今回歩くコースの前半は、その頃毎日バスの中から眺めていたコースなのです。

 藤前を出発すると庄内・新川橋という大きな橋を渡り、本格的に名古屋市街に入っていきます。市街地とは言っても港区ですから、栄や大須とはまったく違い、高層ビルが建ち並んでいるわけではありません。国道23号線は非常に広くなっており、最初の交差点が宝神交差点。東海ラジオの交通情報で渋滞スポットとしてよく耳にする地名です。当初はこの交差点をまっすぐ進もうかと思っていましたが、久しぶりに勤めていた当知校を見てみたくなり、ここから左折してみました。15分くらい歩くと当知一丁目交差点。この右手に当知校はありました。

   

 ベントマン、手羽先の風来坊と並んであったかつての塾はすでになくなっており、別のテナント塾が入っていました。たった3年前のことなのに、栄枯盛衰のはかなさを痛切に感じました。あの頃いた先生や生徒たちはどうしたんでしょう? 一企業とはいえ、塾は教育産業なのだからあまり簡単に廃業してしまうのはどうなんでしょうね…。ちなみにこのチェーン塾のうち、いくつかの校舎はいまでも存在しているみたいです。

 この交差点から東へどんどん進んで行きます。名古屋競馬場がある土古(どんこ)、入場(いりば)など懐かしいバス停が続き、地下鉄東海通(とうかいどおり)駅へ。ここから北へ数本進んだ交差点が、第1回目の旅で通った八熊通になります。地図上で見るとほんの数百m離れているだけという場所で、はるばる滋賀県を回ってようやく名古屋に戻ってきたなぁと感慨も深くなります。

 東海通からさらに東進し、千年、氷室交差点を通って南区に入ります。ここでちょっと一服。もちろんタバコではなく冷たいお茶。こういった長距離ウォーキングには健康な肺が必要となるので、タバコはウォーキングの天敵です(まぁスポーツ全般に言えることでしょうが)。ちなみに僕は生まれてこのかた1本たりとも吸ったことはありません。もちろん吸い方も知りません。

 南区では、三重県四日市市でいったん別れた国道1号線と合流します。冒頭に書いたようにここから豊田市の方に進んで、少し回り道をして豊川へ戻っていく予定でした。しかし1号線と再会すると「このままずっと1号線に沿って行けば豊川に着けるんだ。ぜひここから豊川まで東海道を歩き通してみたい」という衝動にかられ、予定変更して1号線を東へ向けて歩き始めました。

 笠寺を過ぎて緑区に入ると1号線はまたまた片側1車線になります。この先の中汐田交差点も朝夕の交通渋滞が有名なスポットです。そりゃそうですよね、緑区とはいえ国道1号線(しかも名古屋市内)なんですから。片側1車線では渋滞するに決まっています。こういう設計ミスってなぜ設計士はバッシングを受けないんでしょう? 政治家や公務員は仕事のミスを散々たたかれるのに…。同じように世間に迷惑をかけるミスなのに不公平ですよね。

 染め物で有名な有松宿を過ぎると桶狭間です。ここは織田信長が今川義元を破った合戦の地。国道1号線にも案内板があります。しかし何だか非常に違和感があるのは、こんな市街地に合戦跡があるということ。関ヶ原や長篠は今はひっそりとした山あいの地なのに…。まぁ昔はこの辺りがどんな様子だったのかは知りませんが、合戦場の横を大型トラックが走り去って行く。歴史は流れているんですね。

 名古屋市ももうすぐ終わり豊明市に入るギリギリ手前に中京競馬場があります。今回は名鉄本線の中京競馬場前駅を終着地としました。いよいよ美濃・近江を回った旅も終わりが近付いてきました。次回は一気に40qの壁を越えて、豊川市の自宅まで戻ります。


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