第16回 中京競馬場前(愛知県名古屋市緑区)→御油(愛知県豊川市)

平成11年5月2日 晴れ 42.2q 10時間20分

旅の終焉は旅の始まり

 名古屋市の東端から豊川市へ向けて、第1回から始まった「美濃・近江の旅」もいよいよ最後を迎えようとしています。豊川市の自宅を朝出発し、名鉄本線で中京競馬場前駅まで来たのが朝8時10分。すぐにウォーキングを開始しました。5月初旬で天気も抜群!

 数分歩くとすぐに名古屋市を離れ豊明市に入ります。豊明市は豊川・豊橋・豊田と並び「愛知県の豊が付く4市」の1つです。ちなみに「市」でなければ他に「豊山町」などがあります。また、他県には「豊中市(大阪市)」などがあります。それにしても愛知県(特に三河地方)の「豊」の付く地名数はダントツに多い。僕の予想では「穂の国」の「ほ」(豊は「ほう」と読む)からきていると思っているのですが、実際は何か関係があるのでしょうか。知っている人、教えて下さい。

 教えて下さい、と言えばもう1つ。豊明市には名鉄豊明駅がありますが、この駅は急行すら(もちろん特急も)停まらず、市の中心駅ではありません。市の中心駅は(名古屋から見て)手前の前後(ぜんご)駅になります。この「前後」って地名も小さい頃からずっと気になっていた名前です。こちらの由来も誰か教えて下さい。

 豊明駅付近では、四日市市からずっと併走してきた国道23号線ともっとも近くなり、1号線と23号線を結ぶランプウェイも建設されています。現在の道路の規格から察するに、東京方面から大阪方面に向かう場合は、この豊明まで1号線、豊明から四日市まで23号線、四日市から先はまた1号線、と走るのがメインルートのような気がします。

 このランプウェイを過ぎるとほんの少し刈谷市をかすめ、知立市に入ります。知立はかつて池鯉鮒(ちりふ)と書き、東海道五十三次の1つでした。ここには旧道も残されていて、松並木も残されている(「知立の松並木」と言います)ということなので、途中から1号線を外れて旧道を歩いてみました。

   

 確かに知立の松並木は現存していました。そしてこの日は非常に暑い日だったので、松の木陰を歩くことで非常に快適なウォーキングとなりました。江戸時代の人々もこうやって松で雨風や日差しを防いだんだなぁと実感しました。このように車ではできない体験を積むことが、旅の経験値を増やしている気がします。

 しかし愛知県にはもう1つ、御油の松並木が現存しています。自宅近くなのでよく通り、いつも目にしているからかも知れませんが、知立の松並木の方が少し見劣りするような気がします(知立の皆様、気を悪くされたらゴメンナサイ)。どこが違うかと言われたら、答えはこんな感じでしょうか…。「知立の方はところどころに木陰ができている。御油の方はところどころに陽が差し込んでいる」。分かってもらえますか、このイメージ?

 さてこの旧道は再び1号線に合流するまでに、いつの間にか安城市を抜けて岡崎市に入っています。1号線に合流した後は矢作川を渡り、岡崎公園を過ぎ、東名高速道路の岡崎インターチェンジを越えると、(実際はまだまだ西三河ですが)何だか東三河に戻ってきたような気分になります。豊橋・豊川の人間にとって岡崎(市街)までの区間はずっと地元(東三河)というイメージがあるように思えます。これは名鉄の快速特急の豊橋の次の停車駅が岡崎(東岡崎)駅であるということとも関係があるかも知れません。つまり、豊橋市民にとって「岡崎」は隣駅なのです。僕以外の東三河の皆さんはどう思いますか?

 この岡崎辺りを歩いている時が(たぶん30q地点くらい)一番辛かった。足が痛いとかいうよりも、暑さのために身体や手足がむくんでいるような気がして。指が5本とも太くなるような感覚です。

 この先、美合駅への入り口の三叉路交差点がスタートからの300qポストになりました。この交差点はかつては夜になると屋台のラーメン屋さんが営業していましたが、今もあるのかなぁ…。一度、屋台のラーメンというものを食べてみたい。

   

 愛産大三河高校を左手の山の上に見ながら長い直線(国道1号線です)を歩くと、名鉄本宿駅が近くなります。この本宿駅の前後はよくスピード違反の取り締まりをしている場所です。僕は絶対にスピード違反をしないので(それはそれで他のドライバーには迷惑なのかも知れませんが、規則は守らなきゃというのが僕の生活スタンスですから)怖くも何ともないのですが、あの取り締まりって本当に大人げない方法ですよね。何しろ「隠れて襲う(!?)」わけですから、鈴鹿峠で紹介した山賊と同じです(警察関係の方、抗議の電話はしないで下さい)。ま、規則を守らない人間が一番悪いんですけどね。

 本宿駅を越えるとようやく長かった岡崎市も終わり、宝飯郡音羽町に入ります(現在はここから豊川市です)。ここからが正真正銘の「東三河」となります。ここら辺りからまた旧道が右手に分かれるので、せっかくだから旧道を歩きました。赤坂紅里交差点を過ぎ、御油の松並木を堪能して家へ帰り着きました。夕方の6時30分。赤坂宿・御油宿は住んでいる家の近くなので今まであまり気にもかけていませんでしたが、老舗大橋屋旅館を始め、結構有名な観光スッポトらしいですね。まさに灯台もと暗しです。

   

 ちなみにこの赤坂宿〜御油宿間は東海道五十三次の宿場間でもっとも距離が短く(16町=約1744m)、尊敬する松尾芭蕉もこんな句を詠んでいます。

 「夏の月 御油より出でて 赤坂や」…夏の月の出ている時間の短さは、御油宿から赤坂への移動と同じだ。

 無事に長旅から帰り着き、何だか1つの仕事をやり終えたような達成感を感じましたが、ほんの少し寂しさも感じました。でも「そぞろ神が付く」とはよく言ったもので、またすぐに旅に出たくなるから不思議なものです。次回からは奥三河の旅がスタートします。お楽しみに!


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