第162回 下関(山口県下関市)→長門本山(山口県山陽小野田市)
平成31年3月4日 曇り一時雨のち晴れ 44.1q 10時間50分
理想の終着駅
本州の西の端、下関に到着して山陰の旅が完結して、今回からは山陽地方を東へ向かって戻っていきます。在原業平は伊勢物語の「東下り」で身を用無き物に思いなして京の都から東へ向かいましたが、僕は京の都へ「向かって」東へ進むので、今回からの新シリーズは「東上り」とでも言うべきでしょうかね。
朝6時50分、たくさんのフグに見送られながら下関を出発! さぁまた長い長い旅路の始まりです。駅だけじゃない、公衆電話の上からもフグが見送ってくれてます。トドメは世界一のふくの像(!?)
最初に歩き出すのは国道9号線。第157回の旅において益田で別れて以来、下関で再会した国道9号線は、しばらくの間は山陰旅とは逆向きにお世話になります。標識を見ると山陽地方の地名がズラリ。まずは広島まで200q弱か…。先は長いな。
下関市は、市として誕生した時は赤間関(あかまがせき)市という名称でした。僕は壇之浦で完敗した平家の赤い旗に因んでの名称だと思っていたのですが、よく考えたら勝利した政権側が負けた賊軍側の名称を付けるはずがないですね。実際には朝廷に献上するワカメが水中で赤く見えたことから、ワカメ→アカメ→アカマ、と訛ったという説が有力なようです。その旧市名の付いた赤間神宮が左手から見送ってくれます。
そして右手には歴史に名高い壇之浦。今日も流れが非常に速い。肉眼で見ても恐ろしいほどの流れが分かります。上を走るのは関門海峡大橋。写真でも微妙に見えていますが、関門海峡大橋の左下に小さく「7」という数字が表示されています。この日のこの時間帯は「7」「E」「↑」が交互に示されていたのですが、潮流が速さ7ノット、東向き、これから速さが上昇する、ということを表しています。それを常に示さなくてはならないほどこの関門海峡は船舶にとって危険な場所なのです。
12世紀にはここで平家と源氏の最終決戦がありました。平知盛と源義経。最初は平家側が有利だったのに、1日に4回変わる潮の流れが変わった途端に戦況は一変。平家側から源氏側に寝返る者も出てきて、一気に源氏側が勝利をおさめました。平家側の安徳天皇は当時8歳。尼が「波の下にも都があるとは今知ったよ」との辞世の句を詠みながら、この安徳天皇を抱えて入水しました。
時は流れて19世紀、江戸幕府が滅亡を迎える直前にまたもや壇之浦で事件が起きました。倒幕を目指しながらも尊皇攘夷を掲げていた長州藩が、この壇之浦を通る外国船に向けて大砲を発射! その後コテンパンに叩かれた長州藩は倒幕とともに攘夷ではなく開国に向かって進み出します。
鎌倉→室町→江戸と約700年続いた武家政治の時代。その発端に繋がる事件とその終焉に繋がる事件が700年の時を経て、まったく同じ場所で起こったという歴史の偶然。この壇之浦には、平知盛と戦う源義経の八艘跳びをする像と、外国船に向けて発射した長州砲が並んでいます。同じように歴史上で語られる出来事だけれど、700年の隔たりがある物が並んでいるという不思議な感じ。
ここ関門海峡はこの両方の事件をちゃんと目撃していたんだろうなぁ。いや、それだけじゃない。江戸時代の初期に巌流島で起きた武蔵と小次郎の戦いも、明治以降の日本の富国強兵を代表する出来事である日清戦争の下関講和条約が結ばれるのも、ずっと静かに眺めて記憶しているんだろう。今朝はもちろん平家と源氏の戦う声も、大砲を発射する音も聞こえない。武蔵と小次郎の戦う姿も、陸奥宗光と李鴻章の姿も見えない。平成時代の壇之浦は平和に僕を東へ送り出してくれています。
ちなみに源平合戦の像の隣に手形の記念碑もあったので、まさか源義経のものなのか?と思ってビックリして覗きこんでみたら、大河ドラマ出演記念で来訪した松坂慶子さんのものでした(笑)。突然現代に引き戻されました。
さてしばらく歩くと長門国の国分寺が置かれていた長府の街に到着します。せっかくなのでちょっと寄り道してみようかと観光センターへ。町起こしの片棒を担ぐことになると分かっていながら、高杉晋作餅を素通りできませんでした(笑)。
それにしてもこの街並みも本当に素敵。壇具川、古江小路、毛利邸…。もう少し長く滞在してもいいくらい。
さてここで軽いブランチをとると、道は急に心もとない感じになってきます。そして小雨も降り出しました。僕は傘を持ってるからもちろん濡れはしないのですが、長距離ウォーキングの最中じゃなかったらべつに濡れてもいいんじゃない?ってくらいの暖かい春雨です。こんな素敵な田舎道に降る春雨は嫌いじゃないな。
午後1時頃、ようやく雨が上がると晴れ間ものぞいてきました。傘も持っていたけど日焼け止めもガッツリ塗っていたのでまったく問題ない。ここからが今日のウォーキングの後半戦。やっとのことで長かった下関市を脱出です。最後の最後までフグのお見送りでした。フグに頼りきってますね、下関市。そしてここから山陽小野田市ですが、こちらは何だか訳の分からない人(!?)が描いてある。誰だこれ!? 厚狭の三年寝太郎かな? ちなみに山陽小野田市は現時点で日本で唯一の「漢字5文字の市」です。
晴れてきたらずいぶんと暖かくなってきたので、調子に乗ってコンビニでアイスを1本。そのおかげでまた寒くなる。前にも同じことやった記憶があるなぁ…。
再び海沿いに出ると、はるか彼方に今朝眺めてきた関門海峡大橋がボンヤリと。周防灘をぐるっと1日かけて回ってきたことになります。ということはあの関門海峡大橋のバックに見えてたのは今背後に佇む山かな。
山陽小野田の市街地に出てくるともう小野田駅はすぐ目の前。でも今日の目的地はこの駅じゃない。山陽本線小野田駅から分かれて走る小野田線のさらに支線、その末端の長門本山駅が今日の目的地です。どうしても一度訪ねてみたかった駅。
何だか溶けてしまいそうな危険なバス停や、哀愁たっぷりの小野田港駅を横目に見ながら、道はだんだんと岬の方向へ。もう並走する線路はローカル色満載。道と海浜公園の間を静かに走っています。ここからまたさらに分岐する支線とはいったいどんなに風情があるのだろう…。
猫も佇む焼野海岸、調度いい西陽が差す時間帯。こんなに素敵な絵が撮れました。しばらくはスマホの待受画像これにしよう。周防灘の向こうにぼんやり見えるのは九州です。そしてこのきららビーチ入り口付近がスタートからの4150q地点となりました。
午後5時40分、目指していた長門本山駅に到着。西陽が当たって哀愁半端無い!
今朝出発した下関は確かに山陽本線や山陰本線の終着駅です。文字どおり本州の端の駅。でも駅前はかなり大きく発展して賑わっているターミナル駅だし、現実に線路は関門トンネルを経て門司へ繋がっているし、下関を「終着駅」と呼ぶのは少し違和感があります。
それに対してこの長門本山駅は! 線路は完全に途切れていて物理的にこれ以上は進めない場所。目の前には洋々と広がる周防灘。その向こうに眺められるのは九州。この駅なら「終着駅」と呼んでもいい。季節がら落ち葉は舞い散っていないけれど、奥村チヨさんもきっと納得してくれることと思います(笑)。
帰りの電車は…選択の余地はありませんでした。待ち時間は約1時間。時刻表を見るとこれはスーパー奇跡です。前回まで電車の本数の少ない山陰地方を歩いてきたけれど、まさか山陽地方に入ってからこんな駅に出会うとは思いませんでした。
さて京都へ向かう長旅の第一歩。この先主要国道である国道2号線に沿って進もうか、それとも瀬戸内海の海岸線を忠実にトレースしようかと迷っていましたが、今のところそのどちらでもなく、見たい観光地や風景を訪ねながら海辺や山あいをウロウロ気ままに進もうと思っています。またたくさんの出会いや思い出ができることを楽しみに…。