第176回 赤穂(兵庫県赤穂市)→姫路(兵庫県姫路市)

令和6年4月9日 雨のち曇り 距離未測定(55,910歩) 9時間30分

夢も咲く、桜も咲く、ゆめさき川

 約11ヶ月ぶりにやってきた兵庫県。前回は最後の最後に岡山県から兵庫県入りしたので、今回からしばらくは兵庫県の南岸を東へ向かって歩くことになります。兵庫県は南側が東西に大きく広がっているので、兵庫県を脱出して大阪府に入るにはまたしばらくかかりそうな気がします。

 今回の歩き出しは朝8時。前夜から降り続いていた雨がまだ残っています。予報では2時間ほどでやむとのことでしたが、今回は最初に赤穂市と相生市との境となる高取峠が控えていて、交通量が多い国道である上に歩道もないことが分かっていました。できれば天気がいい時間帯に歩きたかったのですが。でもこればかりは仕方なし…。

       

 1時間ほどで坂越(さこし)駅へ到着して、赤穂市との名残を惜しむかのように振り返ります。川の下流には赤穂の海(写真左)、そして前方にはこれから越えなければならない高取峠が立ちはだかっています(写真右)。小雨の中、傘をさしながら、そしてトラックをうまく避けながら約1時間の上り坂です。

       

 そろそろ峠に着いたかなぁと思った頃、道路わきに突然モニュメント。実は高取峠には早駕籠のモニュメントがあることは知っていましたから、ここが峠かなと思って一瞬喜びました。しかし!残念ながら、ぬか喜びに終わりました。これは「親子」っていうまったく別のモニュメントでした…。このモニュメントの由来は結局分からずじまいです。

               

 何とか命を落とさずにようやく「本物の」高取峠に到着。今度はどこからどう見ても、ちゃんと早駕籠のモニュメントが立っています。江戸の元禄年間に起きた、かの有名な江戸城松の廊下での浅野内匠頭長矩の刃傷沙汰事件。その第一報をお国の家老である大石内蔵助に伝えるべく百五十五里、620kmの道のりを四昼夜で走って来た早駕籠です。1日約140km。走り手は途中で交代したとしても(それでも大変なことに変わりありませんが)、中に座っていた人もエコノミー症候群になってしまいそうですよね…。

       

 ちなみにこの刃傷沙汰の第一報早駕籠は事件後すぐに江戸を出たと言われています。浅野内匠頭が切腹となったのはその日の夕刻ですから、この第一報はまだ切腹の沙汰については伝えていなかったでしょう。恐らくこの直後に着いた第二報で伝えられたと思われます。いずれにしても説明にあるように、この峠からが赤穂藩領地であることを考えると、一連の忠臣蔵物語は「赤穂藩」という舞台で考えればこの峠がスタートと言うことになるのでしょうね。今日の高取峠は桜が咲いた初春の静かな雨上がりです。

               

 この峠を越えるとここからが相生市に入ります。下り坂にはなりますがまだまだ歩道のない危険な国道は続きます。下って下って西相生駅と相生産業高校を過ぎると、ようやく歩道も現れて一息つけました。今回のウォーキングコースでは、トラックやクマの餌食になるとすればこの峠の8km弱が有力(!?)なんじゃないかなと思っていたので、僕もここまで来てようやくホッと一息つきました。まぁ誰かに頼まれて強制されて危険な道を歩いているわけじゃないんですけどね…。

               

 さて、相生市は「ペーロンの街」だそうです。楚の宰相が国運を嘆いて身を投げたことを悲しんだ国民が、ちまきを作って川に投げ込み、龍船(白龍)を浮かべて競漕したのが由来で、白龍の中国音が「ペーロン」だとか。長崎で行われていたこの風習を絶やさないようにと相生では毎年「ペーロン祭」が行われているそうで、僕の歩いたコースにも道の駅「白龍(ペーロン)城」がありました。異国情緒あふれる素敵な建物です。赤穂名産の天塩を使った塩ソフトクリームも売られていましたが、残念ながら雨上がりはまだ気温が上がっていなかったので、さすがに食べるのは今回は断念しました。

       

 相生市はもう1つ、大根が有名らしいです。市役所にも「ド根性大根」がいました。何が根性なのかは分かりませんでしたが、名産品を売り出そうという根性は伝わってきました(笑)。こういう解釈でいいのかな?

               

 ようやく雨も完全に上がり、JR相生駅を横目に見ながら国道2号線に合流。ここからしばらくは播磨平野に入るので大きな峠もなく平坦なコースが続きます。下見は完全ではないけれど、このまま大阪までずっと山や峠は無いのかな。まぁ徒然な旅なので、また山が見たくなったらコースを内陸にとる日も来るかもしれませんけど…。とりあえず曇っているとは言え、目の前にはのんびり流れる川と、のんびり走るJR在来線と、のんびり広がる播磨平野。

               

 地図では見ていたんだけど「鵤」交差点。これ、「いかるが」って読むんですね。「斑鳩」の方は知ってましたけど、こちらは知りませんでした。奈良県の斑鳩は「イカル」って鳥が生息していたことに因むって聞いたことありますが、ここも同じ由来なんでしょうか。

               

 さらに新快速の行先表示でよく見掛ける網干駅を過ぎて、しばらく進むと「ひとつばし」。大学名ではもちろんよく耳にしますが、実際に橋の名前ではあまり聞いたことなかったです。でも言われてみれば「一橋」ですからそりゃ本来は「橋(ブリッジ)」ですよね。ちなみに周囲に二つ目の橋はまったく見当たりませんでした。

       

 またその先の交差点には「門」という不思議なモニュメントもあり、しばし意味もなく眺めました。車ではなくて歩いていると本当にいろいろな地名やモノに気付けます。こうやって意味もないことをとりとめもなく考えて歩いているといつの間にか時間が過ぎていき、最高の「休息」になります。

               

 そしていよいよゴールの姫路が近付いてきたところで大きな橋を渡ります。橋の上から見た堤の桜は絶景。橋を渡り終えた後の欄干の橋標に書かれた「ゆめさきがわ」という川の名前もまた素敵です。ちなみに漢字で書くと「夢前川」です。「咲」ではなくて「前」なのもまた良いですね(間違って「ゆめまえかわ」と読む人もいるかもしれませんが…)。山陽電鉄網干線には夢前川駅もあります。

       

 網干と並んで新快速の行先でよく見かける、こちらも難読駅の英賀保(あがほ)駅。姫路の一駅隣の駅です。ゴールまであと一息。

               

 そしていつの間にか夕暮れも迫って来た午後5時30分、無事に姫路駅へ到着しました。その到着直前、使われていない橋脚が視界に突然現れたのですが、これ何なんでしょう?(下の写真左) そう言えば姫路には公営モノレールが走っていた時代があって、その廃線後も橋脚が抜けないって聞いた記憶がかすかにあるから、それなのかな。

       

 前半は小雨の峠越えになりましたが、後半は予報ほどに強風にもならず、気持ちよく播磨路を歩きました。次回はさらに東へ向かいます。明石市も近付いてきていて、つまり東経135度の子午線ももうすぐ通ることになります。下関から東へ歩いてきているこの旅も、地理上の「西日本」はあと少しを残すのみです…。


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