第178回 明石(兵庫県明石市)→住吉(兵庫県神戸市)
令和7年5月16日 曇り 距離未測定(53,086歩) 9時間10分
リラの咲く頃スマノウラへ
夜からは確実に大雨になるという予報が出る中、「曇り」というもっとも歩きやすい天気が一日続くことを願って、今回も明石までやって来ました。そう、確かに一日中曇りでした。しかし結論から言えば、一日中湿度の高い日にもなりました。
大阪万博の喧騒もさすがにここまでは届いていない兵庫県東部の明石を、明石城址に見守られながら朝8時30分に出発です。太陽はたまに顔を出したり、また雲に隠れたり…。紫外線対策のサングラスはずっとかけたままでしたが、帽子はそのたびにかぶったり脱いだりしました。
歩き出して十数分ほどで明石市立天文科学館の前を通り過ぎます。ここは日本の標準時子午線である東経135度線の上に立つ科学館なので、僕もこれで再び「西日本」から「東日本」に帰ってきたことになります。約10年前、第145回のウォーキングにてこの東経135度線を西へ跨いで以来(その時は日本海側で京都府内でした)、本州西端の下関までまわってきましたが久しぶりに東日本へ戻ることになります。またいつか西日本へ足を踏み入れる日が来るのか、少し寂しく思いながらの東日本への帰還となりました。
ここからしばらくは瀬戸内海沿いを歩きます。湿度の高い海風がたっぷりと潮の香りを運んできます。それとともに何だかお酒の香りもしてきました。ん? なぜだ? まだ朝だから、昨夜のお酒が抜けていない誰かが路上で寝転んででもいるのか? などと勘ぐってしまいましたが、すみませんでした、さすがにそんな人はいませんでした。キョロキョロして見ると右手に酒類の醸造所がありました。ガラスの向こう側とは言っても、結構お酒の香りは漏れてくるものですね。
さて、曇っていても、そのグレーの景色の中に明石海峡大橋が見えてきました。遠くから見るとやはりとても長いです(下の写真左)。でもこれ、不思議なことに近くから見ると淡路島がすぐ近くに見えます(下の写真右)。
そして神戸市内に突入して舞子公園の中に入り、本当に橋の真下から見ると、これまた何とも言えない壮大な光景になりますね。ちなみにこの公園内には他にもたくさんの見るべきものがあり、またしっかり遊べる広場もあるので、通る際にはしっかり時間をとって立ち寄りたい公園です。今回は行きませんでしたが、橋の上から海(場合によっては渦潮も?)見下ろせるプロムナードもあります。
まだまだ国道は海に沿って伸びていきます。山と海の狭い間に国道と鉄道が並走している様子は、スケールこそ違えど静岡県の由比にも似ている感じがあります。ちょうど貨物列車が通ったので潮風をモロに浴びながら橋の上で1枚撮りました。
ここで垂水区から須磨区に入ります。左手には須磨浦公園。「須磨」と聞けばやはりまずは「源氏物語」が思い出されます。主人公の光源氏が政権から離れて蟄居していたのがこの須磨地区です。摂津国の中で一番都から離れた場所ということでこの須磨に流されたのですが(文覚上人や後醍醐天皇など、他にも「須磨へ流刑」された歴史上の人物は何人かいます)、須磨に滞在した期間などからここの場面の光源氏は在原行平がモデルではないかという説もあります。
いつもならウォーキングのコースからわざわざ外れてまでそのゆかりの地を訪ねることはしないのですが(後日の距離測定の時に立ち寄ることが多い)、今回は時間的・距離的にも余裕があるので、少しコースを変えながら2つの光源氏ゆかりの地を訪ねてみました。
まず1つ目は現光寺(げんこうじ)。これはかつては「源光寺」と呼ばれたり、あるいは写真にあるように別名「源氏寺」とも呼ばれるお寺で、光源氏の居住地として設定されているお寺です。今はちょっとした坂の上にある小さなお寺です。
そして2つ目はそこからまた奥にある須磨寺(すまでら)。目をひく赤い龍華橋の奥に入っていくと、光源氏が紫の上を偲んで植えたと言われる「若木の桜」(少し見にくいですが下の写真右)が見えてきます。
さらにはこの地域は源平合戦のゆかりの地でもあるので、庭園(源平の庭)には平敦盛と熊谷直実(平家に仕えていたが石橋山の戦いから源頼朝に臣従した)の有名な一騎打ちを再現した像や、蕪村翁の句が建てられています。観光客はそこそこいたものの、それでも静かな「重厚さ」のあるお寺で(瞑想されているご老人も何人かいました)、やはりわざわざ立ち寄って良かったです。
他にも在原行平が月を眺めたとされる「月見の松」などもありますが、そこまでは足を伸ばす余裕はなく、この後は再び蒸し暑い海側へ出ました。僕の世代は光源氏よりも光GENJIの方が詳しいのでその曲目を思い出しながら、今日は曇っているので「太陽がいっぱい」降り注いではいないものの「紫外線はいっぱい」です。この辺りは海沿いなので反射光で尚更です。やはりサングラスは大活躍でした。こうしてユルユルと須磨海浜公園を右手に眺めながら須磨区から長田区へ入っていくと、いよいよ神戸の中心街が近くなってきている空気になります。
実はここでも国道を真直ぐ歩かずに海側へ大回りした理由があります。それはJR山陽本線の和田岬支線の終着駅である和田岬駅へ立ち寄ることです。兵庫駅から分かれた支線がたった1駅だけ走ってたどり着く終着駅。そこには第162回の旅のゴールになった長門本山駅と同じにおいを感じたのです。もしかしたらとんでもない哀愁漂う終着駅に出会えるのではないか…。
しかし残念ながら和田岬駅は結構市街地の真ん中の喧騒の中に存在していました。神戸市内なんだし、そりゃそうか! この駅は通勤客のために建設された駅だそうで、時刻表を見ても朝と夕方しか列車は走っていません。名鉄にも東名古屋港駅という似た境遇の駅(こちらも大江駅から分岐してたった1駅)がありますが、そんな感じでしょうか。道路の歩道からそのまま伸びたところに改札もなく突然ホームがあり、これは少し驚きました。どうやらこの駅からの乗降客は必ず隣の兵庫駅の専用のホームに降り立つことになるので、そこに改札があるからそれで充分みたいです。調べてみたら東名古屋港駅もまったく同じような構造らしいですね。
現在はこのJR和田岬駅のすぐ隣に地下鉄の和田岬駅もあります(実は恥ずかしながら、僕は神戸に地下鉄があることも知らなかったのですが…)。そちらは普通に一日中列車運行していますから、断然そちらの方が使いやすいですよね。このJRの和田岬支線はこの先も細々と存在していけるのかな、廃線になっちゃったりはしないよね? そんなことを考えながら駅をあとにして僕は歩を先に進めました。
本格的に市街地に入る前に、素敵な運河を見付けました。港町に流れるこういう静かな運河、僕は大好きです。観光地化されずに生活臭が残っている景色は、こうやってゆっくりと一歩一歩自分の足で歩いていないとなかなか見付けられないものです。
そしてもう1つ、これも道端に佇むモニュメントなので歩きでなかったら見逃してしまっていたかもしれません。横溝正史生誕の地のモニュメントです。彼の作品に流れる謎解きの複雑さを表す「メビウスの輪」を模した素敵な記念碑は、決して観光地として有名ではなくても僕の心に刺さりました。第173回の旅の中、岡山県の清音駅付近で横溝正史の足跡をはからずも訪ね歩くことになりましたが、そこからまたすぐにここで横溝氏に「出会う」ことになるとは思ってもいませんでした。
いよいよ兵庫区に入り、元町駅の南側に広がる南京町を通ります。ウォーキング中なのであまりしっかりと立ち寄りませんでしたが、ゴマ団子、ニラ餃子、ココナッツ団子、桃饅頭、…。心惹かれるものがたくさんありました。お腹には入れませんでしたが、南京町独特の空気はしっかり浴びながら歩いてきました。
この元町から三ノ宮あたりが感覚的には一番賑わっている、悪く言えば一番「歩きにくい」区間だった気がします。立ち飲み屋も次々と軒を連ねていて、仕事終わりの夕方頃にフラッと立ち寄るには本当に良い街並みなのかもしれませんけどね。
まだまだ神戸市が続きます。灘区に入り、国道2号線はバイパスから「街中の静かな道」へと戻ります。ようやくウォーキングのペースを取り戻したと思う頃、東灘区に入って今回のゴールが近付いてきました。ここもまだギリギリ神戸市内です。思えば今朝、明石海峡大橋の真下から眺めたあの舞子公園から地図上は神戸市内なので、今日は最初の1時間を除いてほぼずっと神戸市内を歩いてきたことになります。広いですが、歴史や文化をたくさん感じられる素敵な街でした。
住吉駅の直前に本住吉(もとすみよし)神社があります。大阪の住吉大社の一派らしいですが、その有名な住吉大社よりも先に鎮座していたという理由で「本」住吉と名付けられているそうです。地域の神社として厄除け・幸せ祈願などの御利益もあるそうですが、ちょっと変わった御利益としてはこの神社に参拝すると「トークの技術が向上する」らしいです。僕は職業柄、絶対に参拝しないといけませんね。最後に今日一番の有益な「出逢い」がありました!
まだまだ明るい午後5時40分、今日のゴールであるJR東海道本線の住吉駅に到着しました。JRは東京~神戸間が東海道本線、神戸~門司間が山陽本線となり、神戸駅を境に路線名が変わります。今日の出発地の明石駅は山陽本線の駅、この住吉駅はもう神戸駅を越えたので東海道本線の駅となります。標準時子午線も越え、JRの路線名も変わり、本当に急に「東側」へ戻って来たなぁと実感する今回の旅でした。
大阪までは直線距離ではあと20㎞強です。下関を発ったこの「東上り」シリーズもだいぶ終わりが見えてきました。次回は間違いなく大阪府に入ります。大阪万博開催中になるのか、それとも閉幕後になるのかはまだ分かりませんが…。
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