第18回 三河東郷(愛知県新城市)→三河川合(愛知県南設楽郡鳳来町)

平成11年7月4日 晴れ 19.4㎞ 4時間40分

世間は狭い

 この日は朝から歯医者の予約がとってあり、虫歯を治療してもらってから新城へやって来ました。歯医者へ行ったことがある人なら分かると思いますが、無事に(!?)歯を治療してもらった後って非常にすがすがしいですよね。やっぱり歯医者って怖いですから。そんなわけでこの日はいつも以上に気分のいいウォーキングになりました。

 三河東郷駅の近くに駐車場が見当たらないので(前回も書きましたが、三河東郷駅は国道沿いにあるのです)、車で鳳来町の奥にある三河川合駅まで行き、そこに車を置いて電車で三河東郷駅まで戻ってきました。時刻は午前11時30分、くしくも前回のウォーキングでこの駅に到着したのと同じ時刻です。

 三河東郷駅を出て北に向かうとまずは坂を上ることになります。小さな丘といった感じで、この丘を越えると豊川を渡って新城市から鳳来町に入ります(今は鳳来町は新城市に合併されているので、特に何の表示もありません)。この丘の部分、JR飯田線は左方向に大きく迂回し、大海(おおみ)駅を経て再び丘を越えた辺りで合流します。確信はないですが、恐らくこの丘は新しくできたバイパスなんでしょうね。丘の上には新興住宅地もあるし。きっと飯田線に沿った県道の方がかつては国道151号線だったんじゃないでしょうか。ちなみにこの区間の飯田線はあまりに大きく迂回しているので、北へ進む電車がいったん南向きに変わる区間として、知る人(つまり飯田線マニアってことですが…)にはよく知られた区間です。

   

 鳳来町に入るとすぐ右手に鳥居強エ門(とりいすねえもん)の衝撃的な絵が見え、長篠合戦場になります。あまり広い合戦地ではありませんが、関ヶ原と同じくらいに雰囲気がある場所です。そして鳳来町の中心地、飯田線本長篠駅に差し掛かります。この交差点はバスターミナルにもなっていて、角に「いえやす」という焼肉屋があります。鳳来町民の話ではこの「いえやす」は鳳来町民の中心的存在になっていて、ここに行けば必ず知人に出会う、と言われている場所だそうです。鳳来町の住宅情報誌には「駅から徒歩○○分」ではなくて「いえやすから徒歩○○分」と記述してあるとも聞いたことがありますが、さすがにこれは都市伝説でしょう(鳳来町に「都市」伝説ってのも何か違和感がありますが…)。

 この交差点は本当に町の中心で、左手には鳳来中学校もあります。かつて高校教諭時代に担当していた生徒に、鳳来中学校出身の生徒がいました。鳳来町は面積が非常に大きく、とても遠くから通学して来る生徒もいます。豊橋市では石巻中学校、豊川市では東部中学校が広い校区を持つことで有名ですが、鳳来中学校は比べ物になりません。バスで通学する生徒もいるようで、町からバスの定期券代が支給されるそうです(義務教育なんだから当然ですが)。ちなみにその生徒は静岡県方面から来る遠鉄バスで通っていたそうです。愛知県なのに「遠州鉄道」って…。

     

 飯田線としばらく並行して歩いた後、三河大野駅へ到着。お茶を飲んで一服して、ここからは左の脇道へ入って大自然を満喫するコースです。飯田線のすぐ隣(柵もない!)を歩き、小さな集落の中にある踏切を渡るすぐ手前がスタートからの350㎞地点となりました。ここから先、左手は飯田線とガケ、右手は豊川。国道151号線はその豊川の向こうを走っています。こちら側の道は車がすれ違いできないほどの狭さなので、逆に言えば車はほとんど来ません。

     

 この辺りの豊川は、別名板敷川(いたじきがわ)と呼ばれます。水がきれいで、板を敷き詰めたような川底が幻想的であることから名付けられたのですが、いや、本当に素晴らしい! 僕の稚拙な文章ではとても表現しきれません。そして川の流れも速く、真夏なのにとても涼しい。東三河に来たならここに行かない手はないですね(ちなみに車でお越しの際は川の対岸には駐車場があり、吊り橋を歩いて渡ってここに来ることができます)。

   

 板敷川をず~っと眺めながら、飯田線と左右を入れ替わりつつ快調に歩を進めていきます。湯谷温泉を抜け、鳳来寺山登山口を通過し、同じような道をどんどん進むと三河槙原駅に到着。このすぐ先にはキャンプ地「県民の森」があるので、この駅には少し乗客が見られます。「少し」と書きましたが、この辺りの他の駅ではほとんど乗客を目にすることはないのです。だから普通列車は2~3時間に一本くらい、よってさらに住民は自動車を使う、よってさらに電車の本数は少なくなり…。皆さん、頑張って電車を使いましょう(青春18切符愛好家としても、飯田線はなくなっては困る路線なのです)!

   

 ガケを削って作ったような素掘りのトンネル(国道151号線を車で走っていても左手に見えます)を抜け、「県民の森」を左に見ながら再び国道に合流します。距離はまだあまり歩いてないのに、暑さでかなり体力消耗。疲れてきたなぁ~。すると…。

 脇を通り過ぎていった車が前方の道端に停車。地元住民と間違えられて道でも聞かれるのかと思ったら、運転者が車から降りてきて…!? なんと高校時代の恩師でした。久しぶりの再会。「どこまで行くの?乗せていってあげようか?」と言っていただきました。距離を計って歩いているので、と簡単に説明し、失礼ながらお断りをしました(その日の夜に改めて電話して、お話をさせていただきました)。

 それにしても世間って狭いですね。どこで誰に出会うか分からない。これからはウォーキングの時にも変な格好で歩かないようにという教訓になりました(以前は半分パジャマのようなジャージで歩いていました)。

 この日は何とか無事に三河川合駅に到着。車の中に用意してあったTシャツに着替えて、車でゆったりと帰りました。飯田線の豊橋~辰野間はかつては4つの私鉄に分かれていました。豊橋~大海間が豊川鉄道、大海から三河川合間が鳳来寺鉄道、三河川合~天竜峡間(ここが一番自然に満ちあふれた大変な区間です)が三信鉄道、そして天竜峡~辰野間が伊那電気鉄道という具合です。つまり三河川合駅は鳳来寺鉄道と三信鉄道との接続駅だったのです。寂しい無人駅ですが今でも構内は広く、往時の賑わいの名残りを感じることができます。

   

 次回はさらに北上し、東栄町をかすめて静岡県に入ります。


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