第38回 奈良井(長野県木曽郡楢川村)→原野(長野県木曽郡日義村)
平成12年7月9日 晴れ 14.8q 3時間10分
ヘビとコウモリの住みかへ不法侵入!
奈良井宿については前回の旅日記で紹介しましたから、そちらでこの宿場の素晴らしい雰囲気を読み味わってもらうとして、今回はスタートしてすぐに差しかかる「鳥居峠」について書こうと思います。
鳥居峠は、碓氷峠(うすいとうげ)とともに中山道の2大難所と言われています。標高もさることながらこの峠は日本海に注ぐ信濃川(正確には源流の奈良井川)と太平洋に注ぐ木曽川の分水嶺になっています。分水嶺とは川の源流となる場所のことで、ここから北に降った雨と南に降った雨とはまったく異なる道を歩みそれぞれ太平洋と日本海に別れていく、そんな境目となる場所のことを言います。ほんの数p降る場所が異なっただけで恐らくもう二度と出会うことのない運命になってしまう雨粒たちのことを考えると、何だかしんみりとしてしまいます。もちろん分水嶺はこの鳥居峠の山頂近くになりますから国道からはそう簡単には見ることはできません。しかしこの峠を越える前と後で川の流れる向きが正反対になるので、ここが分水嶺であることを実感するには充分です。
余談になりますが、ここから少し西に位置する岐阜県のひるがの高原には、国道沿いに簡単に見られる分水嶺があります。ぜひ川の源流の境目を自分の目で確かめてみたいという人は、ここへお越し下さい。ひるがの分水嶺についてはず〜っと後になりますが第99回の旅で通りますから、詳しくはそちらに譲るとしましょう。
今回の私の旅は、鳥居峠を上ることなく国道19号線の新鳥居トンネルを歩きました。1q以上もある長大なトンネルですが、歩道もあるから安全だろうということでトンネル歩きを決行したわけですが、歩いてみて初めて分かったことは排煙設備がないということです。トンネルから出てからハッと気付くと、車道に面していた身体の左半身だけ白いTシャツが排気で真っ黒になっていました。
しかも真夏の7月、湿気の多いトンネル内にはコウモリだかヘビだかが住みついているようで、ガサガサと音はするのだけど怖くて振り返ることができません。たった(といっても長いですが)20分程の暗闇の世界が何時間にも感じられました。
鳥居峠は車も通ることができるような素晴らしい峠道が完備されているらしい、という情報をキャッチしたのはこのウォーキングから数週間後のこと。だったらトンネルではなくて峠を歩けばよかったなぁと大きく後悔し、自分の下見の甘さも反省しました。次にこのコースを歩くことがあればそのときは何としても鳥居峠の方を歩きたいと思っています。
さて新鳥居トンネルの暗闇から脱出し久しぶりに光を浴びて光合成を始めると、そこは木祖村。木曽郡木祖村で、郡名も村名も読み方は「きそ」ですが、漢字は異なっています(滋賀県滋賀郡志賀町とかもそうですね。志賀町の紹介は第67回の旅日記で行います)。木祖村は、スキー場で有名な薮原(やぶはら)などがあり、奈良井宿と違って非常に明るい。峠の南側にあるから日光が一日中差すからなのでしょうか。まぁでもここも「木曽路」だから「山の中」であることに変わりはないんですけどね…。
さらにもう1つ小さなトンネルを越えると日義村に入ります。ここは「朝日将軍、木曽義仲」が平家討伐の旗挙げをした地であることから名付けられた地名です。今は市町村合併によりこの日義村という名前は消滅してしまっているのですが、繰り返すようですが長い歴史を持つ地名を消すのはよく考えてほしい。まぁ全面反対はしないけれど、国内旅行家としてはやはり寂しいです。
日義村に入るとしばらくして宮ノ越宿に到着。この辺りは旧中山道において日本橋(東京)と京(京都)のちょうど中間地点にあたるようで、旧道の道端に「こゝ中山道中間地」と書かれた碑がポツネンと建っていました。相変わらず僕はこういう「〜地点」には弱いので、ここで記念撮影しておきました。
今回はさらに次の駅、道路より少し低い位置にある原野(はらの)駅を終着地としました。距離はそれほど歩いていないものの、長いトンネルを早足で歩いたせいかかなり疲労しました。次回も木曽路をさらに南下し続け上松に到着します。