第59回 相可(三重県多気郡多気町)→伊勢八太(三重県一志郡一志町)

平成14年2月10日 曇り一時雪 23.4q 5時間10分

怖いのはどっち??

 前回の旅日記にも書きましたが、今回の出発地となる相可駅はJR紀勢本線の駅です。紀勢本線は亀山駅で関西本線と分岐し、津、松阪を経て多気までやって来ます。そして多気からは鳥羽へ向かう参宮線と別れ(とは言っても、線路の状況・列車の運行から見ると、紀勢本線の方が参宮線から別れていくような感じがします)、寂しく山あいをぬうように紀伊半島一週の旅へ進んでいくのです。相可駅はその分岐点となる多気駅から1つめの駅です。

 ちなみに分岐駅とは言っても多気駅は多気町の中心地からは離れています。どちらかと言うと周辺がさかえているのは相可駅の方。でも相可駅は無人駅です(ちなみに多気駅は確か有人駅です)。ということで、今回は駅員さんに見送られることなく歩き始めました。目指すは松阪駅から分岐する同じくJRの名松線方面。

 この日は2月の中でも、特に寒い日でした。出発時から凍えるような寒さの上、太陽がまったく顔を出さない冬独特の曇天。そして歩くルートは今回も国道の裏通りとなる県道でした。でもまぁ交通量はなかなか多いのです。それにしても寒い…。

 お腹の調子は全然悪くなかったのですが、寒いと言うことで「小」の方が近い。車を運転するのとは違って自分の足で大地を踏みしめて歩くのですから、あまり長いこと我慢したまま歩き続けることはできません。そんなわけで公園や小さな商店を見つけるたびに自分の「ぼうこう」に確認をとり、少しでも危険な兆候があれば必ず立ち寄っていくことにしてウォーキングを堪能しました(おかげでトイレを探して苦しむようなことは今回のウォーキングではありませんでした)。

 そしてもう1つ今回良かったなぁと思うことは、普段あまり車では通らない道であるからということで念入りに下見をしてあったということです。まぁ一本道だったからあまり下見は必要なかったのかもしれませんが、それでも「もう大体何qくらい歩いたな」ということを把握しながらの旅だったので、気持ちがとても楽でした。

 このコースで1つ印象に残った史跡と言えば、松阪市にあった「本居宣長の墓」です。三重県は彼の生誕地として知られていますし、松阪市の中心部には「本居宣長記念館」もありますが、こんな市街地のはずれにひっそりとまつられているとは知らなかった。これは下見の時に車で走っていても全然気が付かなかったなぁ。歩いてみて発見できた史跡でした。

 さて松阪インターチェンジの前を通り抜ける頃からいよいよ灰色の空から雪が舞い落ちてきました。寒いはずだ!! 久しぶりに雪を顔に受けながらのウォーキングとなりました。一応念のため傘は持って歩いていたのですが、なかなか風情のある雪だったのでこの日は傘無しで歩き続けました。別に「豪雪」というわけではなかったので濡れること自体はあまり気にならなかったのですが、雪が目に入るとやはりあまり気持ちのいいものではありませんね。特に雪は空気中の不純物を全部含んで降ってきますから(しかしこの日は目薬も持参していたのでスッキリでした)。

 さらに嬉野(うれしの)町に入り、伊勢自動車道の一志・嬉野インターチェンジを通過すると、ここには久居の射撃場があります。雪は怖くありませんが、射撃場の近くって「間違って撃たれてしまったらどうしよう」って怖さは少しありますね。何せ近くで「銃」を撃っているのですから。ゴルフの打ちっ放しのボールが間違って道路まで飛んでくることが時々あるように、射撃の弾だって…と考えると怖くなりませんか? まぁ現実にはそんなことはないでしょうし、逆に射撃場の近くだったら熊は絶対に出てこないという安全な面もあるような気もしますけどね。

 一志町に入ると小康状態を保っていた雪がやや強くなってきました。そんな時、目の前にJR名松線の伊勢八太駅が!! しかも帰るべき方向の電車が近付いているらしい!! 遠くで列車の音が聞こえる!! 目の前の踏切も鳴り始めた!! 名松線は一本列車を逃すと2〜3時間は次の列車が来ない!!

 ということで最後は小走りとなりながら伊勢八太駅に到着。すぐに(本当に1分もないくらい)やって来た松阪行き列車に乗ってこの日のウォーキングはあわただしく終了となりました。名松線については次の旅日記で紹介します。

 さぁいよいよ次回からJR名松線沿線の旅をお楽しみ下さい。



第58回へ←   →第60回へ

伊勢神宮・東本願寺参拝の旅トップへ戻る
旅のページトップへ戻る