第65回 信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)→石山(滋賀県大津市)
平成14年10月13日 晴れ 26.3q 6時間10分
無惨やな、側溝の中の…
前回せっかく信楽高原まで上りつめましたが、今回は早速反対側の琵琶湖に向けて下りていくことになります。こちらは再び大自然の中を歩くコースになります。出発は朝の7時20分。周囲はもやがかかり、幻想的な信楽駅を巨大タヌキに見送られながら出発しました。
途中の牧交差点近くまでは信楽高原鉄道の路線と併走します。というよりこの日はJR草津線の甲西駅に車を置いて(第11回の旅と同じです)、貴生川駅からこの信楽高原鉄道を使って信楽駅までやって来ていました。この信楽高原鉄道は、両端の貴生川駅と信楽駅を含めても6駅しかなく、全長は約15qです。しかし、貴生川駅から乗ると最初の駅である紫香楽宮跡駅まで約10qもの駅間距離があり、そこからの各駅は約1qおきの短い駅間距離になります。この日は夜を通して運転して来たので、最初の紫香楽宮跡駅までの約10分をウトウトして眠ってしまいました。
後から調べたところ、実はこの区間の車窓がとても素晴らしいらしく、まるで北海道の原生林の中を走っているような景色なのだそうです。非常に惜しいことをしました! ぜひこの区間をもう一度乗りに行きたいと思っています(しかしその後今日まで一度も信楽高原鉄道には乗っていません)。
信楽高原鉄道の勅旨(ちょくし)駅を越えた辺りが、スタートからの1300q地点になりました。まだこの時間帯はもやが消えず、交通量も多くないのでまるで異次元空間をさまよっているかのようでした。
牧交差点で左折すると、ここからは信楽高原鉄道とはお別れです。道自体は相変わらず自動車だったら快走できそうな規格の広さですが、民家や商店はまったく消え(もともと牧交差点までもそれほどあったわけではありませんが)、見渡す限り人間は僕一人になりました。道に併走しているのは最近「ダム問題」で名前をよく聞くようになった大戸川(だいとがわ)。この頃歩いた時の記憶では、この川はもう本当に自然にあふれる清流です。下手をするとまだ発見されていない生物がいるかも知れないくらいです(ま、そんなことはないか!)。
いつの間にか信楽町から、滋賀県の県庁所在地である大津市に入っています。しかしここが県庁所在地とは…! 相変わらずの360°の大自然パノラマ! 人工物と言えば足下のアスファルトくらい。そのアスファルトを眺めながらトボトボと下を見ながら歩いていると、側溝に何かが挟まっている…。
何と、鹿の死体!! 無惨にも生前の姿形を保ったまま他界されておりました。夜中に通った車にでもはねられたのでしょうか? 目も開いたままで(ちょっと生々しくてスミマセン)今にも動き出しそうでした。一応合掌して僕は通り過ぎましたが、動物とは言えやはり生き物の無惨な姿ってあまり見たい物ではないし、寂しい気持ちになりますね。
それでもしばらく歩いているとだんだんと町が見えてきて、山間部(高原)から脱出しかけていることが実感できます。大戸川は相変わらず横をついてきていますが、いつの間にか道を走る車の交通量は増えてきています。琵琶湖は山をもう1つへだてて向こうにあります。山を越えるには道は一本しかないのでそこを歩いていくしかないのですが、ここだけはなぜか道幅も狭く非常に歩きにくかったことを記憶しています。山を越えてしまえばもうそこは大都会(これまでの道程に比べれば、ですが)大津です。
今回の旅のクライマックスは旧東海道に合流した後で渡る瀬田唐橋(せたからはし)。この橋は琵琶湖の南端にかかる橋で、一般的にいう「琵琶湖」はこの橋よりも内側を指すことになります。つまりここは琵琶湖の出口とも言うべき場所なのです。古来より東国から京都に入るための関所も置かれ、交通の要衝とされてきました。各時代において「瀬田唐橋を渡る者は天下を制す」とも言われ、壬申の乱(672年)や承久の乱(1221年)など歴史上の大きな戦乱の舞台ともなってきました。そのたびに橋は焼け落ち再建を繰り返してきたのですが、今でもここは国道1号線の交通の関所であることには変わりなく、四六時中渋滞が起きているスポットです。今度何かの戦乱が起きて(!?)再建する時にはもう少し幅員を広げてほしいものです。
今回はJR東海道本線上にある石山駅を終着地としました。石山は長野県の姨捨、高知県の桂浜と並んで「三大、月の名所」に数えられています。僕は夜にここを訪れたことはありませんが、きっと琵琶湖畔に映った名月は想像を絶するほど美しいのでしょう。愛知県からそれほど遠い地ではないので、機会があったら日帰りででも訪ねてみたいものです。今回は「いつか訪ねてみたい場所」が多いですね。
次回はいよいよ念願の京都府に入り、今回の旅の最大目的地である本願寺を参拝します。