第71回 垂井(岐阜県不破郡垂井町)→稲沢(愛知県稲沢市)

平成15年3月2日 晴れ 34.6q 8時間30分

靴が足に馴染むまで…

 京都の出町柳から続いた「5回連続30q越え」の第5回目。ついに今回は愛知県に戻ってきます。

 前回とはうって変わっての快晴の天気! またまた3月、花粉の季節ということでポケットに目薬をしのばせて垂井駅を出発しました。歩き出してすぐ、パッと後ろの駅を振り返ると、壮大な伊吹山が青空の中にそびえ立っていました。前回は雨天・霧のためその姿をぼんやりとしか見せてくれなかった伊吹山も、別れの時になってようやくその全貌を見せてくれました。

 さて前回、雨中の40q歩行のせいで靴の中まで水浸しになってしまったということを書いたと思います。それでも長距離ウォーキングははき慣れた靴でないとダメなので、同じ靴をはいて来るつもりだったのですが、何と家人が勝手に僕の靴を捨ててしまっていて(普段の仕事では運動靴ははかないので、捨てられてしまったことに気付かなかったのです)、今回は真新しい運動靴での出発を余儀なくされました。

 さて今回のルートはほぼ新幹線に沿ったルートになります。大垣方面へは国道から離れて県道を歩くことになるのですが、この県道は安八町辺りからほぼ新幹線と名神高速道路の間の狭い空間を進みます。交通量はそれなりにあり、あまりゆったりとも歩いていられません。そそくさとただただ歩を進めるのみです。そして長良川を渡ると新幹線駅がある羽島市(駅名は岐阜羽島駅です)に入ります。その直前の県道沿いの雑然とした場所が、スタートからの1500qポストになりました。またまた「1500q」という大きな数字を越え、次の目標はもちろん「2000q」に切り替わりました。くどいようですが、旅に終わりはないのです。

 岐阜羽島駅はJR東海の新幹線駅です。岐阜県にある新幹線駅は「岐阜」でも「大垣」でもなく「羽島」にあります。JR在来線の駅すらないのになぜ羽島に新幹線駅が??と思う方も見えると思いますが、この理由はよく分かりません。まぁきっと羽島出身の政治家が選挙のために地元に駅を誘致したとかそんな感じでしょうか(鉄道駅の設立経緯にはよくあることです)。JR在来線の代わりに岐阜羽島駅には名鉄列車が乗り入れています(名鉄の方の駅名は新羽島です)。

 羽島駅を過ぎるとアッという間に木曽川が見えてきます。しかし愛知県に入る前に岐阜県でやり残したことがありました。この頃CMでよく聞くようになっていた「岐阜の初寿司」を食べてみたかったのです。ちょうど道沿いに初寿司があり、ここに昼食をとるために入っていきました。運良く、カウンターに座れました!! 威勢のいい若い大将が寿司を握り…

 まぁ結局どうだったのかというと、僕の舌には普通のお寿司のように感じました…。初寿司はチェーン店のようなので、他店がどうなのかはよく分かりません。しかし、この約1年後に尾張に住むことになってこの道もよく車で走りましたが、いつの間にかこの日に入った初寿司が閉店してしまっていたのは確かです。

 濃尾大橋で木曽川を渡るといよいよ愛知県に戻ってきます。ここは毛織物で有名な尾西市。愛知県内では東三河地方からはもっとも離れた土地になります。「尾西」という市名は「尾張の西部」ということから安直に付けられた名前だとは思うのですが、この地名はすでにウール業界では有名になっていたので、やはり合併によって消滅してしまうのは寂しい気がします(現在は一宮市になっています)。

 まだまだ道はまっすぐ続き、一宮市に入った頃、やはり慣れない靴のせいか足が痛くなってきました。まぁでもそれくらいはいつものことだとそのまま歩き続けましたが、そういう時は身体の変な所に余分な力が入ってしまっているもの。今回は腰が痛くなってきました。一宮駅を過ぎる頃には、きっと周囲から見れば「ヒョコヒョコ」といった感じで歩いていたと思います。ここで今回のウォーキングを終わろうかとも思いましたが、この道から一宮駅までは結構距離があること、そして次の稲沢駅まではそれほど距離がないであろうことなどを考慮した結果、もう少し頑張ることにしたのでした。この決断が翌日まで尾を引くことになってしまうとは…。

 稲沢駅は快速停車駅ではありません。快速は名古屋駅を出ると一宮駅まで停まらないのです。にも関わらず、稲沢駅はとても広い構内を持っています。他の駅とは比べ物にならないくらい。車両基地の愛知機関区が置かれている上に、かつては貨物船の稲沢線も別に通っていた関係で、膨大な数の線路が敷き詰められているのだと、その昔僕の祖父が教えてくれました(祖父は国鉄の機関士だったのです)。今回はこの稲沢駅を終着地としましたが、あまりに広すぎて跨線橋を渡るだけでも相当の時間がかかりました。この頃は何とも思っていませんでしたが、この一年後に稲沢付近に住むことになるとは、何かの因縁だったのかも知れません。

 余談ですが、この翌朝悲劇が起きました。起きあがろうとしても起きあがれないのです。そう、このウォーキングで傷めた腰が…!! 頑張って出勤はしましたが、靴下をはくのにも支えてもらうほどで、授業はとても辛かったのを覚えています。運悪くこの日は「オーラル」の授業が多数あり、4階の教室までCDデッキを持ち運ばなければならず、申し訳ないと思いながらもエレベーターで教室と職員室の間を行き来しました。自分の「趣味」で「仕事」に影響を出してしまったことを深く深く反省しました。

 次回は名古屋市中心部の塩釜口に到着します。



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