第72回 稲沢(愛知県稲沢市)→塩釜口(愛知県名古屋市天白区)

平成15年4月3日 晴れ 22.6q 5時間30分

二度とない機会は絶対逃すな!

 稲沢市から名古屋市。離れているように見えて、実はそれほど遠くはないのです。ま、稲沢市と言っても稲沢駅は名古屋市にかなり近い端にあるんですけどね。

 この近辺を通るときはいつも思いますが、一本の道を走っていても短区間で市町村がどんどん変化していきます。今回のウォーキングもまっすぐな県道をずっと歩いているのに稲沢市から春日町、清洲町、新川町、西枇杷島町と目まぐるしく変化していきます。

 清洲町には「信長鬼ころし」で有名な清洲城があります。遠くからでもよく見えるこのお城ですが、実は僕は中に入ったことがありません。そう言えば学生時代に4年間名古屋に住んでいたにも関わらず、名古屋城にも一度も行ったことがないですね。三名城の一つに数えられるほどなのにね。ちなみに姫路城は一度だけ訪ねたことがあります(かつて勤めていた高校の教員研修旅行で)。あと訪ねたことがあるのは松江城、彦根城、安土城、岡崎城、掛川城、仙台城くらいですかね。実は地元の豊橋にある吉田城も訪ねたことはないのです…(隣接した運動公園に弓道場があるので、高校時代の部活動の大会では行きましたが)。

 枇杷島には名鉄本線が走っています。庄内川を挟むようにして西枇杷島駅、東枇杷島駅と続きます。ここら辺りまで来ると道もかなり広くなっていますが、この西枇杷島駅の近くに1つの大きなビルがあり、僕にとってはそこは思い出があるビルなのです。ビルの名称は忘れてしまったのですが、大学1年生の時にこのビルの一室で数学検定なるものを受けました。名古屋に下宿していたので電車で西枇杷島駅まで来て受けたのですが、数学検定を受けたのは後にも先にも人生でこの一回だけです。準1級、もちろん合格しましたが、準1級は大学1年生程度の数学レベルなので(経済学部に入った友人に数学の教材を借りて勉強しました)、文系学部に入った僕にとっては(高校は理系クラスだったので)この時が合格を勝ち取る唯一の機会だったように思います。やはり資格というのは取れる時にしっかり取っておかなくてはだめですね。

 さぁここから名古屋市に入ります。まずは西区。ここも僕にとっては思い出深い地です。以前にも少し触れましたが、大学時代に勤務していた塾、パシフィックゼミナール菊井校というのが西区にあるからです。せっかくなので、その塾舎の前を歩いてみることにしました。ここの塾舎は今も変わらずそこにあり、当時の塾長(校舎長)も相変わらずそこに見えました。ちなみにここの塾生たち(今は25〜26歳くらいのはずです)とは今も連絡をとっています。恐らくこのホームページも読んでいてくれることでしょう。

 結局この日のウォーキングコースは、毎晩菊井校から下宿まで帰っていたルートをそのまま懐かしく歩くことにしました。東片端、黒門町、今池、吹上、川原通、と今ここで書いていてもいろんな思い出がよみがえってきます。思えば大学時代は本当に良かったなぁ。時間もあって。当時は早く社会人になりたいなんて思っていたけど、やはり「自由」というものは失ってみないとその価値に気付かないんですね。

 そう言えば、菊井校に通っていた頃、一緒に講師をしていた3つくらい年上の辻先生という方が、僕の下宿の近くに住んで見えたので毎晩僕の車に乗せて一緒に帰っていたものでした。彼は僕より一年先に大学院を卒業したので、一緒に勤務していたのは1年くらいでしたが、最後の日には帰りにファミレスに寄って食事をして帰った記憶があります。あの日以来もちろん一度も会っていませんが、今頃どこで何をしてみえるのでしょうか。忘れていた「一期一会」ってこうやって突然脳裏に浮かび上がってくるのですね。

 この日はさらに川名、いりなか、八事、と地下鉄鶴舞線沿いに歩き、名城大学のある塩釜口駅まで歩きました。距離はまだそれほどでもありませんでしたが、まだ靴も足に馴染みきってはおらず(前回の旅日記参照)、また腰痛になるのも嫌なのでしばらくはこのくらいの距離で抑えようということで、今回は塩釜口駅を終着地としました。

 次回はこれまたよく名古屋から帰省する時に車で走っていた県道を歩きつつ、岡崎市まで戻ってきます。いよいよこの「伊勢神宮・東本願寺参拝の旅」も終わりに近づきつつあります。



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