第76回 新所原(静岡県湖西市)→篠原東(静岡県浜松市)

平成15年6月4日 曇りのち雨 18.9q 4時間30分

新居の関所もスッと通り抜けて…

 さぁ今回からいよいよ静岡県をじっくりと堪能してください。

 6月になるとさすがに暑くなってきます。歩き始めから半袖のTシャツ1枚になると「あぁ今年も夏になったなぁ」と実感します。まぁこの日の出発は朝6時30分だったので、最初のうちは結構涼しかったですが…。

 鷲津を過ぎると浜名郡新居町に入ります。ここは旧東海道の中でもとりわけ厳しかったと言われる「新居の関所」がある町です。国道1号線をただただ車で走っていると、新居駅は目についても、少し引っ込んだ所にある新居の関所跡は見つけられません。今回はウォーキングなので、コースを少しだけ変更して関所跡を通ってみました。今は資料館が建っており、当時の様子を復元した関所模型もあり、近くに行った際にはぜひ立ち寄ってほしいスポットになっています。

      

 この関所は、南に太平洋、北に浜名湖が広がっているので、どうしても避けて通ることができないロケーションにあり、江戸時代にはかなり重要な役割を果たしていました。必然的に通行手形改めも厳しくなるわけですが、そういった厳しいチェックを避けるために特に女性はここを通らず、浜名湖北岸の姫街道を通ったと言われています(だから姫街道と名付けられたという説もあります)。考えてみれば分かると思いますが、所持品チェックとかってたぶん服とかも脱いだりしたでしょうから、女性が嫌がるのも分かりますね(一応姫街道にも気賀の関所という関所があります)。

 しかし女性がこの新居の関所を通るのを避けた理由は他にも考えられます。例えば、ここは浜名湖を「今切の渡し」という渡舟に乗って渡ることになるのですが、「切」という字が女性にとって縁起の悪い字であるからだとか。もちろん今となってははっきりした理由は謎のままですが、こういったことをいろいろ考えていると「歴史」っておもしろくなってきますね。

 さて、僕は現代人ですから新居の関所で服を脱ぐこともなく(ま、脱いでたら警察に捕まりますね)、浜名湖も渡舟ではなくふつうに橋を渡り(ていうか今は舟なんて無いです)、舞阪町に入りました。ここにはJR東海道本線の弁天島駅があり、右手の太平洋沖に弁天島の朱い鳥居が見えてきます。弁天様は七福神の中の紅一点、独身女性ということで嫉妬が深く(差別発言ではありません、ただの言い伝えですから。クレーム寄せないで下さいね)、カップルで絶対に行ってはいけない神様らしいです。僕はこの頃まだ独り身でしたから、な〜んも関係なかったですけどね。そしてその鳥居のはるか向こうには、浜名バイパスが浮かび上がっています。

   

 さらに舞阪町にはもう1つ見るべきものがあります。それは舞阪の松並木。もちろん御油の松並木と比べてはいけませんが(第16回の旅日記にも書きました)、それでも「松並木」というのはそれだけで歴史を感じさせるに十分な一種の「遺跡」ですよね。ちなみに僕は以前に日光杉並木(所在は今市市)も見ましたが、あちらも身震いするほど壮大でした。でも所在が今市(いまいち)市ではね…。ってシャレですけど…。ちなみに左側の写真は舞阪の松並木の入り口にいる浪小僧(なみこぞう)で、ここら辺りの遠州灘に出るという妖怪です(水木しげるさん曰く)。右側の写真が舞阪の松並木です。

      

 残念ながらこの日は松並木を抜けて浜松市へ入ったところで、灰色の空から雨が落ちてきました。本当はもう少し先まで行きたかったのですが…。ということで20qにも満たない短いウォーキングとなってしまい、次の駅までも到達できずに遠鉄バスの篠原東バス停で(バスが来るまで民家の軒先で雨宿りさせてもらいました)今回の旅は強制終了となりました。ちなみに20qに満たないウォーキングは第63回の旅(桔梗が丘〜伊賀上野)以来、バス停を終着地としたウォーキングはなんと第22回(横山町バス停)以来のことでした。

 次回は清水と並んで「サッカー」で有名な磐田に到着します。



第75回へ←   →第77回へ

静岡中西部巡りトップへ戻る
旅のページトップへ戻る