第87回 川根家山(静岡県榛原郡川根町)→掛川(静岡県掛川市)

平成15年12月17日 晴れ 36.0q 8時間30分

あの坂を上れば海が見える…

 静岡県中西部を巡る旅も、とうとう帰路に入りました。大井川に沿う川根路の旅も今回で終わりを告げ、旧東海道に合流してしまいます。

 家山駅を出ると道は少しだけ上りになり、すぐに大井川鉄道の福用駅が右手に見えてきます。ここからはついに金谷町。本川根町、中川根町、川根町と続いた「川根」路も名称の上では終わってしまったことになります。この頃は大井川鉄道が崖の崩落のために途中で分断されており、この福用駅から先の部分は代替バスが走っていました。この日のウォーキングでもこの代替バスとは何回か出会いました。

 最後のちょっとした峠を上り切ると大井川もにぎわいを感じさせるようになり、金谷の町並みが遠くに見えてきます。金谷町自体は東海道の宿場の中では、山あいの寂れたタイプの町に属するのですが、奥大井から歩いてきた身にとっては大都会のように見えてしまいます。坂の上から町並みをしみじみと眺めながら一息つき、トボトボと下り始めました。

 金谷の町に出る手前に大井川鉄道の五和(ごか)駅があります。個人的にはこの駅を見ると「静かな川根路が終わってしまったなぁ」といった気持ちになります。この日はこの五和駅に着く手前で、またまた通り行く車から声をかけられました。今回は農作業を終えたばかりのじいちゃんが乗る軽トラ。「五和まで乗ってき!」と言うが早いか、じいちゃんは助手席の荷物を片づけ始める…。何だか道行く人たちの親切をむげに断っているようで本当に申し訳なくなってきましたが、一応「自分の足で歩き切る」ことを目的とする旅なので、今回も丁重にお断りしました。やはり今回も声をかけてくれたのは静岡県民でした。静岡県の方々、本当にいつもありがとうございます!

 金谷駅に到着したのはまだ正午前。ここで終わるのは何だか物足りないので、金谷から先、もうちょっと歩こうということになりました。東海道で金谷宿の次は日坂(にっさか)宿。菊川宿(菊川は間の宿と言って、五十三次には数えられていないのです)、小夜の中山という少し大きめの山が立ちはだかっています。金谷駅はすでに山を上り始めたところにあり、ここで完全に大井川鉄道に別れを告げて旧東海道に合流しました。

 ここの坂は交通量もほどほどにあり、歩道もないので結構歩きづらいのですが(大型車は下の国道1号線を走ってくれますが)、途中何ヶ所か絶好の富士山眺望スポットがありました。車だとなかなか見づらいかも知れません。徒歩なのでじっくり見せてもらいましたが、金谷からの富士山ってこんなにも大きく見えるのですね。まるですぐそこにあるかのような巨大な富士山でした!

 坂の頂上で道は分かれ、下り坂に入ります。やはり交通量が結構あるので途中から脇道に入りました。というかこちらが本物の旧東海道になります。この旧な下り坂は「菊川坂」と呼ばれ、石畳の敷かれたままの往時の雰囲気を味わえる隠れた「名所」です。そして正面のこれから上らなければならない山の斜面には茶畑。これがまさに静岡県の風景。

 それにしても茶畑が何だか変な形になっているなぁ!? よくよく見ると、お茶の木が「茶」という漢字の形に並んでいました。う〜ん、なかなかやるねぇ。気になる人はぜひぜひ見に行ってみて下さいね。

 お腹がすいてきたので、次の山を上り始める前に昼食をとることにしました。…が、この辺りは本当にお店がない! 下を走っているのは国道1号線のはずなのに、トラックの運転手さんなどが入るような定食屋さんすら見当たらない! やばいなぁ、このままお腹を鳴らしながら山越えをするのかなぁ…、と思っていたところ、山に入る直前の交差点に1軒だけうどん屋さんがありました。ま、味はどうということはなかったですが、店の人はとても温かく、おみやげ屋さんも兼ねていたので、結構にぎわっている店でした。

 ここから再び国道1号線を下に見下ろしながら山越えとなります(この山の向こう側が日坂宿になります)。国道1号線が小夜の中山トンネルに入ってしまう直前に小さく右手に分かれていく道があり(うっかりしていると見落としてしまいます)、ここがこれから峠を越えていくための道になります。ここもまたまた道幅は狭く、車の離合はなかなか難しいと思います(ただ両側が崖になっているわけではないので、道からはみ出せば行き違いできそうな気もします)。

 人の気配のない上り坂をぐんぐん上っていくと、割と早く(40分くらいですかね)一番高い位置に到着。はるか眼下には国道1号線のバイパスを走るトラックが目に入り、その轟音も耳鳴りほどの小さな空気の揺れとなって届きます。周囲は見渡す限り山また山…かと思ったのですが、目を凝らすとその山々の向こうに、昼下がりの遠州灘が遠く遠くうごめいていました。この光景は何だか名状しがたいものがあります。山の中腹からの海の景色。もちろん遠すぎて潮のにおいも音も届いてきませんが、かすかに海を感じることができるような、なぜだか非常に懐かしい感じがしました。

 その理由は後になって分かりました。小学校の時に国語の授業で読んだ「あの坂を上れば(杉みき子)」を思い出していたのだと思います。いつ頃習ったのか覚えていません。小学校ではなくて中学校だったかも…。でもそんなことはどうでもいい。たった一回読んだだけでこれほど長いこと心の奥にしまわれているような童話、あの頃は何とも思わなかったけど本当に素晴らしいものはやはり知らず知らずのうちに心に残っているものなのですね。この童話の最後はこう締めくくられています。
「ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳に、あるいは心の奥にか、かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた」
少年が結局海を見たのかどうかは書かれていませんが、僕はこの少年は海を見たのだと思います。そして僕も今、坂を上って海を見ている…。

 ここの風景は書こうと思えば何行書いても書き足らないと思いますが、僕はこの風景だけは独り占めしておきたいのでこれ以上書きません。どうしてもこの風景を実感したい人は、ぜひ自分の足で上ってみて下さい。将来的にこの旅日記には写真も掲載していく予定ですが、この場所の風景だけは載せません。これだけは譲れない、そんな場所だったのです!

 遠州灘に名残を惜しみつつも坂を下り始め、ほどなく日坂に到着。この宿場の端に、願いが「ことのまま」叶うと言われる事任(ことのまま)八幡宮が鎮座しています。国道沿いではあるものの境内は厳かな空気に包まれていました。

     

 ここから掛川まではもう一息ありますが、平坦な道でもあるし、電車も多くあるから時間も気にしなくていいので、夕暮れの東海道を楽しく歩きました。結果的に36.0qも歩いたので、最後の方で少し足は痛くなってきましたが、夕方4時前に無事に掛川に到着できました。しかし帰ってからも先ほどの景色に当てられてしまったようで、何だかぼ〜っとした2〜3日を送ることとなったのでした…。

 ちなみに今回通ったこの山道は、厳密には旧東海道ではありません。旧東海道はもう一つ隣の山になります。こちらにも「小夜の夜泣き石」という遠州七不思議に数えられている名所がありますから、ぜひ一度お訪ね下さい。

 次回は再び北上して浜名湖の北岸に移り、浜北市へ到着します。



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