第96回 柳津(岐阜県羽島郡柳津町)→新田(岐阜県関市)
平成16年8月12日 晴れ 24.3q 5時間40分
消えないで、路面電車!
第94回の旅日記の中で、僕が大学時代に名鉄100駅スタンプラリーに3年連続でまわったという話を書きました。名鉄線の駅のうちの主要駅100駅にスタンプが設置してあり、一日乗車券を購入してそれらを集めてまわるのですが、どんなに効率よくまわっても5日か6日くらいはかかりました。豊川稲荷や蒲郡などの東三河地方の駅から常滑などの知多半島、豊田市などの西三河地方、もちろん名古屋市内、瀬戸線、津島や弥富、前回紹介した羽島方面、犬山方面、それに岐阜駅から路面電車となって走る市内線から本揖斐の方までスタンプは散りばめられていて、この頃から電車であちこちをまわるという僕の「個性」が育成され始めたのかも知れません。ちなみに3年とも100個を集めきり、金メダルをもらいました。
さて、その中で特に僕の印象に残っていた路線は、岐阜市内を路面電車として走っていた岐阜市内線と、それに続く美濃町線でした。この路線は途中までは道路(国道)の上を走る完全な路面電車で、途中からはその国道の横を走る通常の支線となります。スタンプは関市の新関駅に設置してあり、路線自体はその先、美濃市まで続いていました。新関駅に設置されていたたった1つのスタンプを押しに行くのに岐阜駅から片道1時間くらいかかりましたが、毎年ここのスタンプを押しに行くのは実はかなり楽しみでした。それほど素敵な路線なのです。
残念ながら現在この路線は廃止されています。岐阜市内を走っていた、かなり利用者も多いと思われる路面電車の部分も含めてすべて廃止されてしまったのです。自宅の近くに豊橋市という路面電車の街を持つ人間としては、路面電車がこうして消えたり短縮されたりしていくのは非常に残念なことです。これも時代の流れなのでしょうか…。そう考えると、近年になって逆に路線が延伸された豊橋の路面電車は、全国でも非常に特異な存在と言えるような気がします。
そんなわけで、今回歩くルートは現在はもう廃線になってしまっていて、当時の僕と同じように電車を使って旅をすることはできません。実は僕のこの日の旅自体も廃線となる寸前だったのです。そんなわけで、僕にとっては非常にいい記念になっているウォーキングです。
柳津駅を出るとすぐに岐阜市に入り、茜部(あかなべ)大橋という橋を渡ります。この辺りは岐阜市中心部ほどではありませんが、まずまずお店も集中しており結構にぎやかです。この交差点がスタートからの2100qポストになりました。さぁいよいよ岐阜市の中心部に入ります。
徹明町という市内線の駅(電停)から進路を東にとり、関市へ向かう路面電車とともに歩いていきます。この通りは古くからの味のある個人営業店が並んでおり、歩きながら店の中をのぞくと、時計店や刃物店(さすが岐阜ですね)、家具店、着物店などがひっそりと並んでいました。ちょうどこの頃、岐阜市内にある岐阜女子大学の公開講座に通って教育に関する講座を受けていたので、この辺りの岐阜市内の風景は見慣れたものではありましたが、歩いてみるとまた一味違った生活臭が感じられますね。
北一色あたりからだんだんと市街地の空気はなくなり、代わりに岐阜県特有の山の空気が漂い始めます。路面電車は日野橋辺りから道路の脇に追いやられ、道路は普通の国道に変わってしまっています。交通量はまずまずあるのですが両側には水田も開き始め、明らかにさっきまでの岐阜市内の様子とは違います。市街地ではあまり目立たなかったのに、ところどころに存在する大きなデパートも異様に大きく映ってきました。
岐阜中央カントリークラブ芥見(あくたみ)という国道沿いのゴルフクラブを横目に見ながら、ここから関市に入ります。併走する路線は小屋名(おやな)駅、赤土坂(あかつちさか)駅と続き、真夏のため僕の体力もそろそろ限界が近くなってきました。本当は赤土坂駅を今回の終着地としようかとも思ったのですが、今回は車をもう1つ先の新田駅付近に置いてきてしまっているということと、この日はこの赤土坂駅でちょっとガラの悪そうな若者集団が大量に電車待ちをしていたということで、予定通りもう1駅先の新田駅まで頑張ってたどり着きました。
この日はお盆前だったので、このまま新田駅から車に乗り込んで、祖父江ではなく豊川の自宅へ帰りました。関インターチェンジは意外にもこの駅から近くにあり、山が近付いてきてはいるものの交通の便はそれほど悪くないなぁと感じたものでした。
次回は、新田駅を出発し、美濃市から今度は長良川鉄道とともに岐阜県の旅を続け、郡上市に入ります。